科学を信頼している人ほど「疑似科学を信じてしまいやすい」ことが判明、一体どうすれば偽情報から身を守れるのか?
新型コロナウイルスのパンデミックは、専門家の意見に耳を傾けて対策を徹底することがいかに重要かを浮き彫りにしました。
しかし、新しい研究により、科学への信頼感が高い人は疑似科学にだまされて偽情報を拡散してしまう可能性が高いことが判明しました。
この結果から研究者は、「科学を信頼するのは大切なことだが、やみくもに科学を盲信せず、時には自分で考えたり批判的な観点で見たりするのも大事」と指摘しています。
Misplaced trust: When trust in science fosters belief in pseudoscience and the benefits of critical evaluation - ScienceDirect
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0022103121000871
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
Gigazine 2021年11月20日 20時00分
https://gigazine.net/news/20211120-trust-science-pseudoscience/
引用元: ・【疑似科学】科学を信頼している人ほど「疑似科学を信じてしまいやすい」ことが判明、一体どうすれば偽情報から身を守れるのか? [すらいむ★]
この科学的思考法を信頼することが「科学を信頼する」ことでは?
この記事の目的は科学の発展を妨害する事にあるんですよね
始まりからして政治的な問題だったのは明白なのに
>>1
>>5
おめーら科学は疑う疑うって言ってっけどよお、科学の第一歩は事実の分析じゃねえか。
分析する前に自分の意見押し付けて「疑え」ってただの押し売りじゃん。
・その事象がなぜ発生しているのか
・事象のどの部分がどういう理屈で説明できるのか
・またその事象を今までの理屈で説明できない部分はどこか
・説明できない理由は何か
・その理由が生じるにはどういう仮説が必要なのか
・その仮説はどのような理論を構築すれば他の理論と整合性が保たれれ説明できるのか
・それでもつじつまだ合わないところはどこか
ここまで出来て初めて既存理論を疑うことができんじゃねーか。
せっかく生きてんだから頭は科学的に使えよ
助けてー押し売りが帰ろうとしないんですー
それは技術論であって根本ではないのでは?
突き詰めるとやはり「疑う」ことが科学の出発点だよ
仕組みを理解しようとする事自体は疑うという要素があってもなくても成立すると思うんだけど
科学者は別に猜疑心の塊なんかじゃねーよw取り巻く環境で対人意識は変わるけど科学的裏付けを求める事とは別だよ
前提を疑う事は大事ですよ
もちろん全て上手く行っているなら疑っても仕方ないですけど
それただの視点や切り口の話だろ
科学は多面的視点に立たなければならない、で済む話
>>112
そうですね
それには疑う事も含まれるのでは
>>100
数学の例で言えばそれらは近似で乗り越えてきたんですよね
だから目的と手段が逆なのでは
疑う事に科学的価値があるんじゃなく、状況や条件、環境下で複雑に変わる仕組みを理解するためには何が必要なのかを考えるんだろ
求める目的が違うし、疑う姿勢は結果論的な推測の範疇なんだよ
前提を見直すのは上手く行かない部分があるからです
当たり前でしょう
疑うって言葉には真に科学的な帰結かどうかを推察するような意味は含蓄していない
ただ不審に思うって言葉に変えられるだけ
考え方からそういう言葉の選び方になりやすいって事も知っておくべきだと思う
疑うという表現にこだわっても意味がないんです
大事なのはどれだけ前提が単純でしっかりしているか
科学っぽい説明で詐欺をはたらく。レジ袋程度の知能だと、確実にだまされる。
>>15
実は天動説かもしれない
天動説って見えるもの=観測したデータに基づいて太陽や月や惑星、恒星が動いてると考えた
それに関して否定的な事は述べたくないので黙っておきます
色々問題はあっても生き物へ与える苦痛の緩和という意味では温暖化対策を推し進めていくべきなので
>日本人で数学的にそれを証明した人が
アホ過ぎ。「証明」なんかじゃない
数理モデルを構築したのであって、証明したのでは無い
まさにノーベル賞委員会の狙い通りだなあ
ただモデルを構築しただけなのにこういう風にあたかもそれが
事実であるかのうように考える人が増えてしまってる
この人のシミュレーションだと今頃3℃は上昇してるはず
科学そのものと、科学を使って嘘を吐こうとする人間を一緒にしたらダメだぞ
科学的に語る人間と政治的に語る人間が混在してるせいだよ
よくある話で科学に置いて正しさと理解は常に反比例している
それを盲信するのも、エセ科学を盲信するのも
本質的には同じじゃない?
常に批判・懐疑的な眼で、ただし熱意と冷静さとリスペクトを忘れずに。
科学に対する思考は科学的でなければいけない。
ウヨ的な都合の悪い部分に目をつぶり、
サヨ的な始めに正答ありきの目にウロコが飛び込んだ状態。
まぁ、みんな思考し続けることに疲れ気味なのかも。
というのをきちんと理解できていない人は多い
疑似でない科学をわざわざ見分けるような能力があるなら疑似科学を信じない
>>科学を信頼している人ほど「疑似科学を信じてしまいやすい」
つまり相対性理論は正しいと信頼されてはいるが、実は正しくなかったということか?
私はアインシュタインの言う、運動すると時間が伸びるという概念は正しくないと考えている。
物理学における時間の定義は
感覚的時間とは違うけど…
考えているじゃなくて正しくないことを実証しろよ
正しいことは証明できない
だが正しくないことはたった1つの実験で証明できる
アインシュタインの言葉だ
頑張れ
自分で理解できないことをむやみに信じる点で同じ
それ本当の科学を知らんヤツってオチ。
どうやったら科学で人を騙せるかで考えた方が話が早い
自分だったらどう騙すかで考えれば今のやり方はそれなりによく出来ている
一度成功体験を積んでしまうと変わり映えしなくなるのが難点だが
そんなことを言ってしまうとほとんどの科学記事が嘘になってしまうな
まあ実際そうなんだがね
特に健康(長寿、ダイエット)や環境問題に関しては。
理科的リテラシーをきちんと身につけ、詭弁強弁について学んで誤魔化しを見抜ければ、
大体のことは正しいか正しくないか、どちらとも言えない曖昧な状態かの判断が出来るよ。
いや、信じることこそ素晴らしい。
偽情報でも一度は受け入れて
頭で考えないと何もわからない。
論文で発表されたからってだけでは信じるのは危険なんだよな。。
疑似科学だけじゃなくてそっちも注意しないといけないから。
他人の言うことをただ信じるだけ
科学を信じるし宗教も信じて騙される
コロナやワクチン騒ぎで政治的な思惑でどうにでも捻じ曲げられてるということは明らかになったろ
一方の根拠をまったく受け入れようとしてないのだから
科学を言い訳にしてるだけ
大した違いを感じない面もある
論理的裏付の説明をしないまま結果だけを教えるからこうなる。
「科学」をきちんと教えるべきであろう。
疑うことは「科学」の第一歩だ。
自ら疑ったことを既存の論理的裏付の説明で理解すると一歩進む。そうして進みきった先の論理的裏付の説明のない事象に対して自らそれを考えて多くの人に確認、同意をしてもらうことで新しい論理的裏付の説明ができて「科学」が一歩進む。
それでもこの「一歩進んだ科学」は新しい概念や事象の発見により覆ることがある。
それこそが「科学」だ。
それ故、自然現象や社会現象から汎用式を導く「自然科学」や「社会科学」に「証明」は無い。
「証明」があるのは公理の時点から人工的にルールを定めている数学くらいのものだ。
「科学」に「証明」があると考えているようでは疑似科学から実を守ることはできない。
データー偽装してそれが正しいとするのが科学なわけないやろ
水素水
他
は別物
じゃねーの
占いが好きだとよく似た記事とか
科学だけじゃなくいまのネット環境の仕組み上
そういう風になってんじゃんしね
イスラムだとコーラン(神の言葉)が完全に科学だと信じてるよ
まず全員ではないですし完全に信じているのも少数でしょう
多数にとっては例えば日本で仏教や神道が生活の基盤にゆるく組み込まれているのと同じような状況だと思います
なるほど確かに
じゃあ、何で豚肉を食べない?
生活の基盤に組み込まれているからでしょう
そうする事が正しいと教わってきたから
日本でもありますよね
その例は風習の中でも良い風習ですね
後は程度の問題です
どこまで過去の風習に従うか
現代の価値基準においても従って良いと思えるものならそのまま残っていきますし悪習だと思えばやめるでしょう
ただし風習は絶対だと信じて疑わない個体も中にはいます
日本でもいますよね
程度の差はあれ基本的には日本に今でも忍者や侍がいると思っているのと同じようなものだと考えています
程度の問題としても、一部の例外を除いて、
「絶対に」豚肉を食べない率はかなり高いかと
風習というより「神の言葉」という絶対の根拠があって、地獄に落ちたくないから
時代が変わっても、そこだけは変わらなそうな気もします
相対主義の日本人には理解できないかも
科学を信頼している人
↓
知識のある人 ≠ 知識のない人
>>1
科学的思考ではこの世の事象を説明する事は何万年かけても到底難しく、
それでは人間社会は成り立たないので、
代わりに欧米では工学が発達したという歴史がある
工学は因果関係を確認したらそれを科学的に証明する事なしに
ブラックボックス化したまま実用化するのでよりプラグマティックで都合が良い
逆に言えば、西洋の医者も技術者も、工学をメインにしている以上
「なんでそうなるのか?」という簡単な質問に答えられない
これが、ビッグテックのクラウドで働く人工知能が何を考えているのか
AIのエンジニアにはわからないので、責任の所在に苦しむ原因になっている
そうですね
でも工学つまり技術はその方向性で正しいと思います
AIは単に条件分岐が複雑だからという事でしょうけど
科学の本質を学ばず、なんでも間でも盲目的に信頼してたら
そりゃ疑似科学も区別なく信頼しちゃうよね。論語読みの論
語しらずと全く同じ連中だろ。
>>95
っていうか、科学の本質ってわかってないやつがほとんどじゃない?
科学っていのうはひたすらミクロに要素に還元していく思考だから
例えば、車の運転で右に曲がりたいという目的があっても
科学的思考では「まず、ハンドルの角度は*度に付いていて、
そのハンドルの素材はプラスチックが何%で樹脂が何%でって」
ってひたすらミクロに分解していくだけで、「右に曲がりたい」という
大局観からはどんどん離れていってしまう
だから科学的思考では到底目的を果たせないので、代わりに発達したのが工学だ。
工学は実利がメインなので、「ハンドルを*度回す事でタイヤが右に傾く」という
本質に迫って実用化する。その際、ハンドルがどうなって出来ていてそれが
どのようにタイヤに接続されているかは、後から補強される
それはそう思います
でも細部を突き詰めていく事で大局的な技術に結び付く事も結構ありますよね
原理から考えていったもの
蒸気機関などもそうなのでは
>>116
フラクタル理論などはそうだよね
細部を観察すれば大局的な象が無限に現れる
だからカオス理論で躊躇した科学者も再び自信を持った
現代のアメリカでは、サイエンス(科学)、テクノロジー(技術)、
エンジニアリング(工学)、マセマティクス(数学)、アート(芸術)
この5つを総合的に学ぶ、STEMA教育が盛んだ
工学(こうがく、英: engineering)またはエンジニアリングとは、基礎科学である数学・化学・物理学などを工業生産に応用する学問[1][2][3]。
電磁気学、相対性理論、流体力学、熱力学とか還元主義じゃないけど?
インド哲学やチベット仏教もいまいち謎が多いけどなぜか興味をそそられる
それがいけないのかね?
哲学も疑問を追求する姿勢という意味においては必要だと思います
その中でなお生き残っているものは信頼度が高いって言う意味。
批判にさらされていない段階のものは常に眉唾
疑似科学はあっていいとおもうけどな
意味不明な宗教もべつにあっていいと思うけど
偽というのは何にとって偽なのか?
科学的に嘘だと反証するためにも科学者が飛び込んでいっているのでは?
単に「信じやすい」んだろ
対象は何であれ
最終的には科学が全てを説明できるとしても
現在の科学が全然そんなレベルに達していないのは明らか
将棋でさえ完全解析(これは原理的に可能)は無理だというのに
南極の氷が溶けている
「へー、そうなんだ」とこれを信じるのが愚者
「え? 平均気温マイナス20度で、どうやって氷が溶けるの?」と疑うのが賢者
論理的思考とも言う
豆な
科学を信頼している人ほど「ワクチンを信じてしまいやすい」ことが判明
なんか恐ろしいほどぴったりくるな・・・
科学を信頼というのが怪しい
信頼ってどんな行動をいってんだ?
科学も思考の一形態なんだと自覚せよ
権威あるものや広く一般的に周知されてるものに盲目的になるしかないんだよ