「ワクチン」を作ったはずの野口英世が黄熱病で亡くなった理由
「野口英世は黄熱病のワクチンを作って、多くの命を救った」…学校の近代史でそう習った覚えはありませんか。
しかし、これは間違っているようです。
では、どう間違っているのか、この記事で詳しく解説しましょう。
野口英世はワクチンを作っていないのに、多くの人を黄熱病から救ったと言われるのは、なぜなのかについても解説します。
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
幻冬舎ゴールドオンライン 8/12(木) 10:31
https://news.yahoo.co.jp/articles/e83d80a5c07fd75f515628a4d6fbbabf9a694e5e
引用元: ・【科学史】「ワクチン」を作ったはずの野口英世が黄熱病で亡くなった理由 [すらいむ★]
誤った報告で学会を混乱させただけ。
まるで黄熱病以外は実績があったみたいな書き方だな。
お詫びに踏み倒した借金の総額を書いていけ。
悪気はなかったんだろう
発見したとされる研究も現在は否定されている。
ウィルスと戦うことはその当時は無料だった
彼が仕事したのは光学顕微鏡で何か発見する時代が終わりつつある頃だったからな
黄熱病は細菌が原因だと思いこんで研究をして、でも、原因はウイルスでしたってことだろ。
光学顕微鏡じゃなくて、電子顕微鏡があれば、彼は勝っていただろう。
普通に40年以上前に、
「最近ではなくウィルスだったから、当時の顕微鏡では病原体が特定できなかった」
と読んだが
当時最もノーベル医学賞に近いアジア人というのが最大の功績。
まー、一時期、お札の肖像に使われていたわけだが、
お札の肖像になるほどの人物であったかどうかは大いに疑問だったな。
ホントだ…結局何を成し遂げた人なんだろうか
でぇ、何かの細菌と取り違え、病原菌を発見したとか、ワクチンを開発したとか発表しちゃったと。
野口英世の研究成果は黄熱病に限らず後にほとんどが否定されとるが、その多くは実はウイルス性の病気だったと。
>>19
当時、光学顕微鏡では見えない細菌では無い病原体が存在すると言うこと自体は判明しつつあり
学会発表もされていたし理解も深まりつつあった
また当時、破傷風の原因が細菌って判明したので一般的な病原体は細菌であるとする派閥が多数派だった
そして、野口英世は細菌派の人であった…と言う事
>>1
>「野口英世は黄熱病のワクチンを作って、多くの命を救った
>…学校の近代史でそう習った覚えはありませんか。
どこのチョウセン学校だよ。
光学顕微鏡で見える筈のない黄熱病病原体(ウィルス)を
見つけようとして感染死
ってマトモな人間ならみんな知ってる。
その先の闇についても調べればすぐわかる
今より人種差別が酷い時代だからな
子どももいないし
ロックフェラーやぞ。
外国人に金出して学ばせたら何か都合のいい理由があるんやろ。
知ってるアメリカ人からしたら、日本で偉人だの伝記だのとかになってるのを見て
「あー、(察し まぁ別に日本人が良かったら別にええけどな。わざわざ言って気分を
害させる事もなかろう。」みたいな感じらしいな。
スピロヘータの純粋培養だな
現代でもうまくいかず、ウサギの睾丸内でしかうまくいかない
黄熱病の研究と教科書には書いてあったはずだ
令和6年から発行される新紙幣
一万円札
脱亜入欧論の福沢諭吉
→中国の孔子の儒教を推して「論語と算盤」を書いた渋沢栄一
千円札
ロックフェラー財団の感染症研究者である野口英世(プロビデンスの目の透かし絵)
→欧米に人種差別されてノーベル賞受賞できなかった感染症研究者である北里柴三郎
野口が生きていた時代は微生物を原因とする病気はほとんどがわかってりて未解明の病気は全てウイルスによるものだった。
不幸にも野口はそれに気づかず相変わらず微生物を追いかけていた。
結果は残念だったが、明治時代に小学校卒の無名の田舎者が、なんやかんやで米国名門医科大学であるロックフェラー大学の教授になり、大統領の医学顧問にまで出世したことは驚愕に値する。
バカにする人など誰もいない。
野口英世は偉大な医学者だったが生まれたのが20年遅かった。
されてしまったことがわかる。しかし2つ3つの業績はそれでも十分重要だった。
アメリカで力を得た最大の理由は梅毒の病原体であるスピロヘータが人体の
どこの組織に巣くっているかを明らかにしたこと。当時は梅毒は大いにアメリカの
社会問題であったから(日本でもそうだった)。
のち西アフリカで黄熱病流行り野口は3か月かけ船で到着、下火になってたのでワクチンが住民に効いたように見えた。
野口の名声高まるがワクチン効くはずもなく10日でかかり死ぬ。
誰も言ってない事を否定してもなぁ
人格に問題があり、業績の多くが否定されたのが広まったからだろう。
>>40
ノーベル賞候補ってだけで大した成果ないしね。
光学顕微鏡を24時間覗いて何かを発見しようとする熱意だけは一等賞。
本人も自覚してて、こういう研究のやり方は自分の世代が最後と言っていた。
北里柴三郎=コッホと並びノーベル賞級の業績
野口英世=現在は業績のほとんどは否定されてる
豆知識な
黄熱病で野口は死ぬ少し前に、病原体が濾過性(つまり後のウィルス性)であること
を認めていた。つまり当時の光学顕微鏡の解像度では到底観られない微少な
何かであることは最後は認めていたのだ。
黄熱病の原因が蚊が媒介するということはまだ知られていなかったのだろうか?
流行の現地にいって野口が死んで、それをみとった博士も1週間後に黄熱病で
死んだとか。あまりにも恐ろしい病気である。森や沼地に潜む悪魔といって良い。
それから原因の細菌を見つけようとしていたようだな。
だがそんな病気の蔓延地帯に出入りすれば、よほど注意していても
蚊に刺されてしまえば、黄熱病を発症することは予期できたのでは
ないかと思う。そうして一端発症すれば、まだワクチンができておらない
段階の当時では、重症化して死ぬ割合が高いことも。
黄熱病で死んだ人間の血清の分画を投与すれば助かる場合もあったかも
しれないが。
実はそのワクチンは「ワイル病」のワクチンであったために、効かないもので
あったから2人とも(蚊に刺されて)黄熱病を発症して死んだということなのかな。
その時点で速やかに誤りだったと報告するのが結果的には良いはずだ。