大学研究の学際・文理融合、人文系が難しい理由
大学の研究なら学際融合、一般社会でも分野融合の重要性が指摘されるが、実行者はその難しさを口々に唱える。
特に人文科学系が入ると違和感が生じる。東京医科歯科大学、東京外国語大学、東京工業大学、一橋大学は、新型コロナウイルス感染症後のニューノーマルへの研究コンソーシアムを設立した。
その中で人文科学系の役割が問われている。
研究活動は複雑な現実社会に対し、特定の部分に焦点を当て、それ以外はそぎ落とし、絞り込んで精緻化した理想の環境下で論理や知を導くものだ。
人文科学系はこの活動を、個人で行うことを重視するのだと東京外大の中山俊秀副学長(研究担当)は説明する。
時間をかけて思索し、他にない資料を集めてアイデアを育て、独自の世界観を創り出す。
小説やアートと同様に同系はこれをより重視するため、単独著作での書籍が、共著や論文よりも業績として高く評価される。
同系同士も調査研究の機会を共有したり、つなぎ合わせて全体を眺めるために研究会に集ったりする。
しかし終了後は、研究者個人の世界に戻るのだという。
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
ニュースイッチ 5/11(火) 15:17
https://news.yahoo.co.jp/articles/65e38725a0ed09bc0d331ccff3cd0c6ec7b96d1c
引用元: ・【科学一般】大学研究の学際・文理融合、人文系が難しい理由 [すらいむ★]
だよな
アプローチは理系と全然変わりないでしょ
むしろ査読も受けない「本」で業績とかおかしい
ネット時代だからどうにでもなるはずなのに
20年以上さんざんいわれても治らないんだもの
文理融合したある学部でもそこが問題になった
客観的な業績を示せなくて業界誌記事とかって
工学系で査読をさんざやったが、査読でチェックできないことは意外に多いですよ。
明らかな捏造や盗作などの判定は簡単と言えば簡単だが、内容の真偽に関わることは
よほどの証拠がない限り否にはできない。新しい知見は初めてみれば判定に迷うこと
もある。
文系の書籍もよく読むが、前提が問題にはなるが緻密な論考に感心させられることが多い。
分野に関わらず業績の公開は必須だが査読の有無は分野の事情もあって決定的ではない
だろう。本を出したまま批判を受け付けないというのでは困るが。
文系にも問題があろうが、単に貶めるような意見には賛成できない。
禿同
>>1
入試で数学の比重を増やすことだ
ほとんどの人文系の学問において
欧米では数理的手法が多用されてる
日本だけ異世界
最近は、東大文1、文3卒業したAI研究者や
教授も出て来た。高時代の数学が基本だと
いうこと。逆にイギリスの工学博士でも
偏微分方程式を解けないヤツがいっぱいいる。
あいつら日本の高校出ていないからな。
他人の著書や考えを切ったり張ったり時間をかけて
独自の世界観を創り出すのが文系。一つの原則に基づいて
学問を発展させてはいない。だから共同研究ができない。
結果は、どれもこれも似たような考え方の論文や著作物になる。
文理融合はムリ。学際的な普遍の考えなんて文系も、理系も
持っていない。AIの基本的な理論である人間の思考を
教えてやってもイメージがわかないバカみたい先生ばっかり。
ほとほと勉強不足丸出しの大学連中だよ。
そもそも理系学問を理解できないから文系をしてるわけで。
そういう文系に限って徒党を組んで重要なポストを独占してるわけで
そういう文系は自分の感想だけで動いちゃうわけで
人文科学
科研費貰う口の用語w
文系の勉強したいから行くわけじゃない。
そもそも文系理系をこれほど明確に分離してるの日本だけだし
数学のできない人は文系であっても学問の世界には必要ない人
大学にも来なくていい
高校で文系理系分けるのやめたら。
証拠を元に実証とか
アンケート等々のデータを使う分野もあるだろうけど
哲学っぽい分野だと
個人の知識自慢競争、文章力自慢になってそう
あとは斬新なキーワードを導入する能力とか
それまでの理論を覆す発想を提示する能力とか
それはお前が思ってる哲学の印象だろw
無学過ぎる
それなら実際には、こういう仕組みで、客観的に価値の大小が評価されるよ
って実例でも説明すればいいのにw
「きちんと価値判断できてない」という結論は否定したい
そういう気持ちはあるけど
否定する材料はない
そういうことかなw
>>19
斬新なキーワード
「邪悪な利益」
「個人情報の財産権」
「機会の平等」
「公正」
「人の心」
あんまり思い付かないな
分析哲学とかは数学基礎論とのつながりが深い。
"formal logic"などの用語で文献検索してみるといい。
論文は数式や論理式を用いて書かれている。
ブール代数で有名なブールも哲学者。
西洋哲学史を書いたバートランドラッセルは
元は数学者。不思議の国のアリスの著者は
数学者。
論理哲学はなんか閉じてきて、数学界と断絶してしまった気がするよ
シェラハとか「論哲のヒトなの?」て問われたら「いや、基礎論のヒト」って答えてしまう
つまり主観でやってます、客観的な評価は御免被る、ですか?w
そんな雰囲気研究で成果にしてるから日本の人文学系は世界と勝負できないんだよ、一生井の中の蛙のまま、大して世の中の役にも立たず研究費や補助金も減らされる一方、枯れ死するだけだよw
まあ、東大だしね・・・・・
数学的な論理思考ができない人間が通用する分野なんて
現在の人文科学においてほとんどない
まあ日本の2流以下の大学でやってる人文科学なんて学問とは呼べないシロモノだけどね
それは、同業者間の話。分野が違ったり、
ひと歳しめて、多様な考え方ができるように
なると、偉い先生でも、モノの捉え方が狭かったり、
偏ったりしていることが分かる。そうすると、
どんなエライ先生でもバカに見える。
>>28
同意だが、そのキチガイ天才の集団中の出現率は常に一定になのかも知れない、という時々聞く話、問題が
常に3%、的な
研究者1万人なら300人いるが、
効率重視でその300人だけに絞ると結局9人だけになる、残り291人はなぜか凡庸な、当たり前の仕事しかしなくなる
裾野の広さが結局必要、的な話
まあ本当に3%固定のままかどうかはともかく
>>29
実験じゃなくて理念
人文を名乗る連中は理念無しに科学を騙っている。
>>33
それは文系に対する偏見だよ
文系の学部出身でも地球環境等の様々な科学的問題に興味関心を持ってる人は少なくないと思うね
新しいものを生み出して論文を書くこと
もあるけど
その分野の知識を獲得保有する
場合によっては、それを一般向け書籍などに書いて啓蒙する
大学などでは、それを学生等に教える
そんなこともあるから
論文生産の部分がすべてではないけどね
俺は、音楽。有名どころの音楽家になるのは
東大に行くより難しいと言われている。
「人間って形而上だしどうせ検証できないしー」って状況に甘えてるフシがある。
あとメタ度の高さで他分野にマウント取るな。特に哲学。
何を言ってるだろ!? 別になんでもかんでも数式で表すことが第一じゃないだろうw
わざわざ『数学は人文科学』って常識を知らないアホですって自己紹介書き込みしてる人多すぎてワロタw
数学は理系なんてアホみたいなガラパゴスを生むってだけでも日本の文理論争が極めて非生産的かというね
そんな根本的な知識知性が非効率非科学的なら当然その社会の経済の労働生産性も上がらない
馬鹿自慢もほどほどにせぇよw
どのあたりが科学的手法なの?
まず科学的手法の定義を勉強してこい
実態は定義に当てはまりそうもない事してんですけど
文科系で大学の紀要に表向き「論文」として掲載されている文章のうち
学術論文と言えるレベルをクリアしているものなんてあるのだろうか?
エッセイといっても過言ではない代物ばかり見受けられる気がするが・・・
日本だと理系/文系と分けるが、海外はサイエンス/アートでわける。
文系=アート
となるわけだから、まぁ納得だろう 学問では無いから
科学は普遍性を重視する。
オンリーワンといっても、見つけた知識は10年経てば誰でも利用できて、20年経てば教科書にのって誰にとっても当たり前になるのが秀でた研究。
要は良い研究ってのは見つけるまでは苦労するが時間がたてば馬鹿でもチョンでも使える、理解できるってものだ。
そもそも日本の大学の人文系が相対的にレベル低いからなんじゃないの
研究者も教員も学生も
数学ができるとかえって邪魔になるんだろうな。
だから一緒になって何かをしようとは思わないのが普通。関わりを持つと
理系の仲間からダメ理系の印象を持たれてしまうから避ける。
つまり差別意識があるということ。
そもそも分野が分かれていて、それぞれの分野ごとにかたまって
集まっているいるということは、その中心と見なされている内容から
外れたことをやっている者、外れた傾向のものを排斥するという
仕組みと表裏一体なわけ。西欧の学問の構造をほぼそのまま取り入れて
真似してきた国は、その枠組みを守る考えにはまるもの。芸道と
同じで相伝だとか継承だとか、歴史が古いのが価値があるという
伝統重視の国だから、新しいことをすると仲間はずれにされるよ、
それが西欧での流行ではなければ。
無理やり科学のふりをするから軽蔑されるんだ
好きな科目は伸ばしつつ、他科目もきちんと採点する必要がある
学力試験の省略は認めるべきでない、勉強大変だけどね
内容的に融合しにくいのではなく研究スタイルの問題なのか
ただ理工系では特に何もやってない教授様が論文に名前を連ねたがることもよくあるから
無理に融合しなくてもいいのではないかと思う
逆に名前を借りて宣伝に利用する手もあるが
科学がと数学的思考は別だとは思う
科学にとって最も重要なものは客観性だよ
芸術や文学はその対極にある
高1でユークリッド幾何学が必修だったが,これなど訓練に良いよ.
今の日本の壊滅的なIT音痴政府,AIの周回遅れの民間,の背景に思考
訓練・思考慣れの不足があるかもね.
文学に対する見方が変わる傑作エッセイ
2頁ぐらいの短編なので立ち読みしてみて
×「文学は実学」→○「文学は実学である」
人文系は人の感性を相手とすることが多いので、気をつけないとすぐ科学ではなくなってしまう
現実と対応するものがあるかどうかとは関係無く論理だけの正しさの世界だから、
哲学・論理学の一種であって、自然科学(自然現象を解明する科学)ではない。
もちろん自然現象をモデル化してそれを扱って解析学を作ったりして
物理の理論的基礎だったりしてはいるけれども、数学としては実験だとか
自然現象との対比において正しさを検証したりしているわけではない。
結局は「証明」であって、論理だけがものをいう世界。そうして自然現象の
説明はかつては数学の大きな応用分野だったけれども、いまは極一部になって
いる。
科学には自然科学と形式科学というものがあってだな。
数学はそうはいかない。
文系理系って分けてるのは日本だけだよね
やめたら?