カリフォルニア大学が大手出版社エルゼビアと和解し全論文をオープンアクセス化
2021年3月16日、カリフォルニア大学が、世界最大の学術雑誌出版社であるエルゼビアとオープンアクセス協定を結んだと発表しました。
カリフォルニア大学は2019年以降、エルゼビアとの主張の違いから購読契約を完全に打ち切っていましたが、今回はその溝を埋めて双方が納得する合意に達したとのことです。
(中略)
エルゼビアは多数の学術雑誌を出版していますが、その購読料は非常に高額であり、大学図書館などの大口顧客が論文購読の契約を打ち切る動きをみせてきました。
そういった中で、カリフォルニア大学はエルゼビアとの契約更新に際し、「以前までのペイウォール契約を廃止し、カリフォルニア大学の研究者が発表した論文は無料で全世界に公開すること」を条件にエルゼビアと交渉していましたが、これに対しエルゼビアは「年間約1000万ドル(約11億円)の購読料に加え、論文著者にも掲載料を求める」と要求。
カリフォルニア大学は「知識はお金を払うことができる人のみに公開されるべきではない」として交渉は決裂し、エルゼビアはアメリカで出版される論文のおよそ10%を担う最大手顧客を逃すこととなりました。
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
Gigazine 2021年03月17日 14時00分
https://gigazine.net/news/20210317-university-of-california-elsevier-agreement/
関連スレ
【科学一般】大手出版社エルゼビアとの契約終了が大学にもたらした悪影響はそれほど大きくなかったとの指摘
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1615255262/
引用元: ・【科学一般】カリフォルニア大学が大手出版社エルゼビアと和解し全論文をオープンアクセス化 [すらいむ★]
搾取されてる気がして
正月に6個くらい来たぞ。無理だっつーの。
無条件で俺の論文をのっけてくれるとかならやるけど、
やればやるほどデータベースに載ってかさにかかかって査読依頼が来るだけという
多くの捕食出版の雑誌に今回の件はどう波及するかな?
理系「もっとEJ」、文系「(紙の)本や雑誌が買えないだろが」委員会が大荒れになった
理系内部でも分野別でもめてたけど
今じゃ雑誌も講読停止続出で雑誌架がスカスカ
40年ほど前にリオタールというフランス人が「学術情報をデータベース化してオープンアクセスできるようにすれば人類の知的民度は向上する」と書いていたが、エルゼビア様ほかが立ち塞がり、「wikiレベルで満足しとけ」
オープンアクセスにして高校生にもアクセスできるようにすれば、高校生が知見を提起できる分野もありそうなんだが
大手出版社は、論文へのアクセスで利益を得るのではなく、引用分析による
全論文の点数化とそれを実装した総合検索システムで利益を出すべき。
もっとよくわかってからまとめて本にして世に問うとかして欲しい。
あっちのジャーナル、こっちのジャーナルと、断片的な論文を
バラバラに散らして載せてたら、それらすべてのジャーナルを
図書館が揃えておかねばならなくなるし、集めるのも大変だ。
もういい加減、印刷された紙の時代のやむを得なかった慣習を
変えるべきだ。かつては物理的に印刷製本取次配本販売をする
業者が必要だったが、今はそんなものはほとんど要らないはずだから。
税金で行われている研究は、全て各国の国立電子論文アーカイブに
掲載を義務付けてしまえばそれで済むだけのことなのに。
もちろん国民はすべて全文を無料でダウンロードして読めることに
すればよい。
今は電子化された論文を配れば良いだけだから、
利益を求めない学術団体が、年間1万ページでも10万ページでも
学会のジャーナル誌として論文を集めて出して誰でも読めるように
すれば良いだけなのにね。
たとえば、数学なら数学会、化学なら化学会、生物なら生物学会、
物理なら物理学会が、自分の会員の論文を好きなだけ載せて、
必要に応じて採点したり評論したりすれば良いだけだと思う。
昔は学術雑誌や専門書は大学の図書館が世間には貸し出しも閲覧も
させずに秘匿していたから、ちょっとでも高度なことを調べようとか
学ぼうとしたら、大学それもどちらかといえば大学院に所属していないと
難しかった。売っている専門書も大学の中の生協ぐらいにしか置いていなくて、
そういった有力な大学の中に出入りできない田舎の人間は学問とは
無縁の本しか目にすることができなかった。今は事情が違っていて
たとえばアマゾンで洋書でも和古書でも書籍なら検索して買うこともできたり
する(高いけれどもね)。しかしやたらと沢山ある国内外の過去の論文誌
にアクセスのできる立場の人は一般人では無理だ。そうやって金がある人にだけ
学術情報へのアクセスの道がある、それもマイナー大学だとろくにそろっていない
という状況が望ましいものだろうか? 国が窓口となって、全ての情報への
アクセスを無償に近い形で全国民に対して提供するようにすべきじゃないのだろうか?
そういう提供を許さないところとは契約をしないしさせないようにするなど。
そのようにした場合に大学をいくつか新たに建てて運営するのと比べてどれだけ
高いのかな?
値段が高い雑誌は、そこに論文を書いても業績として無視することにすれば
廃れるのにね。