古代都市ポンペイ付近で古代ローマの戦車がほぼ無傷の状態で発掘される
2021年2月27日、イタリア・ナポリ近郊を調査していた考古学チームが「地中から2000年近くも前の戦車を発掘した」と報告しました。
THE FOUR-WHEELED PROCESSIONAL CHARIOT. THE LATEST DISCOVERY OF POMPEII - Pompeii Sites
http://pompeiisites.org/en/comunicati/the-four-wheeled-processional-chariot-the-last-discovery-of-pompeii/
Roman chariot unearthed 'almost intact' near Pompeii
https://phys.org/news/2021-02-roman-chariot-unearthed-intact-pompeii.html
この戦車は西暦79年に火砕流によって地中に埋もれた古代都市「ポンペイ」付近で発見されました。
発見された戦車は鉄の部品と美しい青銅とスズの装飾を備えた、馬によって引かれる4輪車で、儀式用に使用されたものと考えられています。
この戦車は2018年に3頭の馬が発掘された厩舎(きゅうしゃ)付近で発見されています。
(以下略、続きと画像はソースでご確認下さい)
Gigazine 2021年03月01日 10時52分
https://gigazine.net/news/20210301-roman-chariot-pompeii/
引用元: ・【考古学】古代都市ポンペイ付近で古代ローマの戦車がほぼ無傷の状態で発掘される [すらいむ★]
惜しむらくは燃えるものは残らなかったこと
どーでもええか。
ポンやペーは麻雀用語です。
どうでもいいけど。
火山灰の地層に当時のまま埋まってるんだろうか?
どうでもいいけど
ヘイポー遺跡
行進/行列/セレモニー用四輪馬車
"戦車"ではない
指揮官の乗用や馬車競争用
すごーい、博識。
2回目はじっくりみれたが、気がついたのは、晩馬に関してだが、当時のローマ帝国には「あぶみ」がなかった。
よほどに熟練しないと騎射は不可能で、事実、アレクサンドロス大王からローマ帝国時代にかけての西方の騎兵は槍騎兵だった。
「あぶみ」はアジア遊牧民の発明らしく、「あぶみ」無しでの騎射は児童の頃から乗馬し、馬との信頼関係がなければ困難だったらしい。
つまり、両腕が馬から離れて、足だけで馬と結ばれている状態。
ただ、牧草豊かな平原では自分で駆け回って食事するので遊牧民にとっては良き家畜だった。
西欧では、飼料が開発されるまでは大規模な騎兵の運用が困難で、モンゴルに負けた。
馬の育成が容易な牧草地だったのはハンガリー平原(パンノニア平原)以東(それでも当時は‼森・沼地の方が多かった)だった。
なので、フン・アヴァール・マジャールは、ハンガリー平原を根拠地として暴れたが、そこから先は牧草地がないので侵略には限界があった
かなりロジスティックスにたけていたはず。
アレクサンドロスは、騎兵(と言っても槍騎兵)を突撃戦力として用いたが故に天才だったとされる。
ギリシア人は重装歩兵中心で、騎兵は主に斥候用だったが、たまたまテッサリア地方には牧草地があり馬の産地だったのと、ルーマニア平地の牧草地の騎馬遊牧民を徴用できたため、騎兵隊を運用できた。
有名なモザイク画を想起されたい。一方のペルシア軍は元はイラン系の遊牧民であったのに戦術がオリエント化し、スキタイ系ほかの傭兵以外は戦車だった。
長文垂れ流しはこれで終わり
ヨーロッパでは、三十年戦争時代に馬の飼料が開発されるまでは、重装騎兵がすたれてからは、ギリシャ時代と大差ない密集歩兵が最強だった。スイス傭兵→スペインのテルシオ。
重装騎兵の突撃は、フランドル市民兵(金拍車の戦い)、スイス民兵(ナンシーの戦い)、フス派民兵(最後の戦い以外はほぼ全勝)など、良質な市民軍には通用しない戦術となっていた。
おしまい
(人力
日本は小国家群だったはず。金印、漢委奴国王とかそんな時代。
騎射兵が主力だったのは、匈奴や突獗の時代でも無理で、モンゴルが初だったのではないか
騎射じたいはスキタイ(突撃はせず遠巻きに発射)、パルティア&ササン朝(パルティアンショット) 、趙の北方部族「胡服騎射」→匈奴、フン族とか文献に出るが、騎射は熟練を要し、大量に編成できたのは、モンゴルが初ではないか。
お詳しそうな貴方の知見を伺いたい
弥生後期だから普通に鉄器の時代に入ってるな