わずか数分でソ連の一都市が消滅:1952年にM9の超巨大地震に襲われたセベロクリリスク
人口6千人のセベロクリリスク(千島列島北部のパラムシル島〈幌筵島〉に所在)にとって、この日はまさに黙示録となった。
しかし、ソ連当局はすべてを隠蔽した。
国の主要な新聞は沈黙し、地元紙は数日間、休刊にした。
1952年11月5日早朝、セベロクリリスク(日本統治時代の柏原)の住民は強い揺れで目覚めた。
午前4時の2分前だった。
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
RUSSIA BEYOND 2021年11月19日
https://jp.rbth.com/history/85804-soren-1952-kyodai-m9-jishin-de-syoumetsu-severo-kurilsk
引用元: ・【地震】わずか数分でソ連の一都市が消滅:1952年にM9の超巨大地震に襲われたセベロクリリスク [すらいむ★]
カムチャツカ地震で発止した津波は日本に届いた自分で8mだったかな
ただまあこの島の領有権放棄してたうえに占領下から主権回復して半年程度だから関心あっても大して調べられなかったかと
おそロシア
ああおそロシア
おそロシア
松尾芭蕉
日本が自衛隊を派遣して、占拠しちゃうとか、考えるのか?
赤いおつむの連中って、なんで、やたら警戒心が強いんかねぇ。
官僚機構ってのは不祥事は無かったことにするからね。
あたおか。
独裁国家や軍事国家ってのは国民の不安・不満抑制や敵対国家への情報漏洩嫌って、
自然災害の被害も情報統制することはままあること。
日本だって太平洋戦争末期に立て続けに東南海地震含む大震災きたけど、当時調査が
余りされなかったのはまだやむを得ないとしても、全国的な被害報道もロクにされなかった。
死んだばあちゃんに聞いた話、俺んちの近くの集落が全滅してたりとか相当なもんだったはずだけど。
ソ連-アメリカの境界なんだから警戒するだろw
どんだけノー天気なんだよ
冷戦って知ってる?
さっさと奪還しろ
東京ー鹿児島間より遠い。
昔は帝国海軍基地もあったんだけどな
日本の奥尻島の地震と津波もこんなのだった。
奥尻島はさらに火災が発生して逃げ場がなかった。
当時ニュースで知ったけど遠い異国での出来事に感じたくらい
青天の霹靂の災害だった。
奥尻はうっすら覚えてる。
被災直後の瓦礫の山、というか原と化した集落跡の映像は子供だった俺にはなかなか衝撃だった。
まあ20年近く後に東北でさらにすごいのが来た訳だけども…。
カムチャッカ南東沖地震のこと?
同年3月に十勝沖でM8の大地震(全半壊2000棟)があったし
遠い外国のことは当時くわしく報道しなかったでしょ
カムチャッカ南東沖地震での最大津波は八戸の第6波 178cm
十勝沖1952年では死者30名船舶被害450隻だから
その上 到達時間も回数も高さもはっきりしない観測体制
いやいや、下手に反応して、核ミサイル打たれると困るから…。
真冬の爆弾低気圧で猛吹雪なんていう時に来たら
アウツー!!大量の投資者出るぞ
夏でも高台避難中にヒグマのおやつになるんだろうな
流氷が津波で押し寄せて壊滅した経験があるのは浜中町
ルパンの町浜中町いい所だよ〜
町営銭湯のロビーで
等身大の峰不二子にも会えるよ〜
やっぱり建設株かね
突っ込むのそこかよw
知られる街だよな
>>1
もし1952年時点でまだ日本統治下だったら
当然ながら日本人居住者が多くいたわけで・・・・(-_-;)
津波は単なる波ではなく
高さの違う海そのものがやってくるところが恐ろしい。
北斎の浮世絵や、サーフィン大会の波、パニック映画の津波は
は誤ったイメージだ。
3.11でそれはよく分かった
というか、北海道がずっと静かなのが怖いわ。
十勝岳という活火山もあるんだよなー
大雪山系旭岳も煙吹いてるし
北海道は地震でブラックアウトしただろ
大した地震ではなかったけど
まあ人災か
元々、千島海溝沿いは世界一の巨大地震頻発エリアだよ
1990年代以降でも、
1994年北海道東方沖地震Mw8.3、1995年択捉島沖地震Mw7.9、
2003年十勝沖地震Mw8.3、2006年千島沖地震Mw8.3、2007年千島沖地震Mw8.1と、
発生している
火山だって、最近1万年間で、
温禰古丹島の幽仙湖、択捉島の萌消湾、北海道の摩周湖と、
大きなカルデラが3つ形成されている
>>36
一万年で3つのカルデラはやべえな
カムチャッカ辺りまでホットスポットなんだろうな
日本領だったら地震復興費で日本が益々貧乏になるところだった
>>39
千島列島北部は日本領だったときでも人口はごくわずかで
壊滅するような街なんてないから今も日本領で地震で壊滅しても
そのまま放置で米軍と共同で爆撃訓練場にでも利用するだろう。
南樺太は今の道北~オホーツク側くらいの人口分布あったが、
大きな地震の起きる地域でないので寒さ我慢すれば住みやすい。
>>1
人口6千人のセベロクリリスク(千島列島北部のパラムシル島〈幌筵島〉に所在)にとって、この日はまさに黙示録となった。しかし、ソ連当局はすべてを隠蔽した。国の主要な新聞は沈黙し、地元紙は数日間、休刊にした。
1952年11月5日早朝、セベロクリリスク(日本統治時代の柏原)の住民は強い揺れで目覚めた。午前4時の2分前だった。 ...
激しい揺れは、太平洋の巨大地震によって引き起こされた。マグニチュードは実に9.0。リヒタースケールで8.3。震源地は、海岸線から30 km、深さ200kmの海底にあった。揺れはさらに30分続き、この間に破壊は、クロノツキー半島から千島列島北部にいたる海岸700kmを覆った。...
波はそれほど高くなく、1m強だった。最初の津波は、海岸線に最も近い家々を浸水させ、破壊した。10~15分後、水は退き始めたので、多くの人が、残った持ち物を取りに家に戻った。これが致命的な誤りとなる。
海水がいったん退いた後、二度目の津波が街を襲った。それは、まさに破壊的な、高さ10㍍の波だった。波は、途中であまり障害物にぶつからず(最初の波が障害物のかなりの部分を一掃していた)、島の内部に凄まじい速さで流れ込んだ。
その朝、セベロクリリスクのほか、高波は、オネコタン島のムッセリ湾(高さ9.5~10㍍)とカムチャツカ半島のピラトコフ湾(10~15㍍)とオリガ湾(10~13㍍)も覆った。しかし、セベロクリリスクが主な犠牲となったことが後に判明する。わずか数分で、人口6千人の都市全体が壊滅した。
それから第三波が来た。第二波よりは弱かったが、いわば破壊の「仕上げ」をし、海岸にあったほとんどあらゆるものを海に運び去った。...
この悲劇に関するデータは、海軍部門のアーカイブが利用可能になった2000年代初めにようやく部分的に機密解除された(しかし、国防省のアーカイブはまだ機密扱いだ)。これらのアーカイブによると、千島列島北部の大災害により、計2,336人が亡くなった。
しかし歴史家たちの意見では、1952年11月5日の津波は、少なくとも8千人の命を奪い、そのうちのほぼ2千人が児童と未成年だ。統計には、民間人と、遺体が発見され身元特定された犠牲者だけとが含まれているという。...
しかし、セベロクリリスク自体は、津波の後、困難な時代に入った。避難した人々の多くは、都市の中核である水産物加工工場や基地がひどく損傷し、閉鎖されたため、二度と戻らないことに決めた。軍の駐屯部隊も大幅に縮小した。
さらに、1961年には、沿岸海域でニシンが回遊しなくなったため、状況はさらに悪化。セベロクリリスクの主要産業に大打撃を与えた。
津波の後、都市は再建され、丘の近くに移動した。つまり、古代の海底の段丘にスライドし、海抜20m以上の高さになった。
だが、理想からはほど遠い。現在、セベロクリリスクは、エベコ火山の噴火時の泥流の経路上にあるからだ。今日、2,691人がこの都市に住んでおり、これは島全体で唯一の集落となっている。
今でも噴煙モクモクだよ
阿寒湖横に雄阿寒岳雌阿寒岳が聳えてるけど
そこも噴煙モクモクだよ
十勝岳もあるでよー
北海道東部はマジでヤバいよ
>>49
摩周湖の噴火履歴
1万4000年間 VEI5 噴出量66億m3
7700年前 VEI6 噴出量186億m3 ※現在の摩周湖がほぼ形成
10世紀頃 VEI5 噴出量46億m3 ※現在のカヌイヌプリの火口を形成
国内では戦後最大規模で、
噴煙が南シナ海北部にまで達し、今も大量の軽石が押し寄せている、
8月の福徳岡ノ場の噴火が、噴出量5億m3と解析されている
カムチャッカ半島自体が巨大な火山半島なので翌年にもM9.0が起きている
火山活動が始まると連発で来る地域
活火山29
低い地域に比べたら都市なんだろう