ABC予想「証明に疑問点」指摘も 出版後も割れる評価
数学の超難問「ABC予想」を証明したとする京都大数理解析研究所の望月新一教授の論文が、今年3月に出版された。
世界に衝撃を与えた2012年の最初の論文発表から8年半。
一線の数学者でも理解するのが難しいとされる論文の評価は割れているが、望月氏は自身の理論の新たな発展に挑んでいる。
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
朝日新聞DIGITAL 2021年7月27日 8時00分
https://www.asahi.com/articles/ASP7V4TC2P7RULBJ008.html
引用元: ・【数学】ABC予想「証明に疑問点」指摘も 出版後も割れる評価 [すらいむ★]
阿保かお前は
ほんこれ
ただのポエム
>>3
理解できないというか、理解しようとしたら自分の数学人生を全て掛けてやることになる。
そこまでのリスクを負ってやる人間は殆どいないから理解できないだけ。
1人でどんどん進んでって正しければ数百年後に誰かが発掘して日の目を見るはず。
望月本人がそう言うなら分かるが、何故理解していないお前が証明できていると分かるの?
無敵すぎる議論する気ないだろ
世界で10人くらいは理解してるらしい
いや。誰も理解しいない。望月支持者は応援しているだけ。
初っ端にこういう極端な物言いをする奴が出てくると
バカが極端レスに引っ張られてしまいクソスレ化する
査読終わってるし分かるやついるってことだろ。間違い指摘されて修正もしたみたいだし。
数学者だろうがそれ以外の人たちだろうが、適応性は年を取ると落ちるのだ。
そう。
望月の証明が本質的に正しければ、彼の論文は世界中に公開されているのだから、
世界のどこかから若くて生きのいい人が解説をかってでて、
望月自身よりも欠点のない証明をとっくに披露しれくれていることだろう。
それがないってことは、望月の証明は修正不能な本質的間違いがあるってこと。
誰も理解してないよw
予想した人が証明すればいいんじゃないかなぁ
予想はしたよ。証明してねってこと?
分数の割り算も怪しい私に
どなたか分かりやすくおしえてください
理解できないかもしれないけど
2歳児にスマホの扱い方教える方が簡単かもしれないけど
どうか教えてください
NHKでポアンカレ予想の番組見てから 気になって、気になって
知りたい!
>>13
リーマン予想で説明すると
凄い計算式を見つけました
この計算式で導かれる数には私が計算できる範囲の素数は全て含まれています
しかし、無限に至る範囲の全ての素数が含まれているかは分かりません
この計算式には全ての素数が含まれているか、それとも含まれない素数があるか
誰か証明してくれませんか?
こんな感じ
>>13
>予想を証明するってどういうことなんだろ
予想が証明されれば定理になる
証明されていないから”予想”
予想というのは、多分そうだよねっていう意味。否定例が見つかれば予想でなくなる。
よくあるのに、より難しい予想の証明に別の予想が使われたりする
最近の例だとフェルマーの最終定理の証明に”谷山?志村予想”が使われてた。
証明者のワイルズは谷山?志村予想を証明することによって、フェルマーの最終定理を解決した
おー。なるほど。
素晴らしい解説だ。
ありがとう。
フェルマーの定理にフェルマーの名前を付けるの
いい加減にやめない?
ただのウソつきだろこいつ
ワイルズの定理でええやん
科学の世界では
予想した奴が功績高い
証明は答え合わせ
それは違う。
数学の場合は証明した奴が圧倒的に偉い。
予想だけでフィールズ賞もらえるとかありません。
フィールズ賞は問題解決者におくられるけど
ウルフ賞とかは理論構築をした大物におくられてるよ
理論構築と予想は違います。
理論は証明された定理の体系。予想はどこまでも予想にすぎない。
この時間はあのスーパーで値引きシール貼るはずだよ?←予想
マジ!?じゃ行ってくる!←証明
そのうえですべての実数が折り返し連分数で与えられることを示す。
(ここまででA4 3000ページ)
面倒なので省略
どこかで間違ってきたら証明が間違っていたということ。
っていう文系好みな論点になりそうだ。
文系じゃあるまいし
証明が間違っていることを指摘するにはギャップを指摘するだけでよい
ギャップは隔たりとか隙間とかそういう意味だから、必ずしも間違っていることを主張している訳じゃないんじゃないか?
証明に不明瞭な部分があるってのをギャップって表現してるんじゃない
数学の文化的にどうなんだろうな
昔に選択公理なんて具体性に欠ける関数実体の存在をアプリオリに認める公理なんて認められないと言ってる教授の論文に選択公理の暗黙の利用が認められたケースがあった
ブラウアーの直観主義による数々の公理の排斥は根拠や統一した基準に欠けると非難されたがハイティング等によって形式的な形に整備された
>>21
>数学者なら間違ってる事を理論で証明すれば良いだけでしょ。
>文系じゃあるまいし
「間違ってる」というより「肝心な説明がなされていない」という批判。
「間違ってる」云々以前に「価値がない」という批判。
これから必要になりそう。いま一番面白い。
>>25
宇宙際タイヒミュラー理論とはこの世界とは全く
違う理論原則物理法則の宇宙を想定して、そこでこっちでは偽とされてる
理論が正とされてる宇宙を想定して、そっちの宇宙とこっちの宇宙では
何が差か?を検証する事で理論の正当性を導きだす
もしもボックスでもしもお金の無い世界に行ったら
強盗がお金をよこすという謎世界だったが、その謎世界はなぜ
それで経済が成り立っているのか?という理論を構築していき
それとこっちの世界のお金がいる世界との差は何か?を調べる事で
お金がいる世界の意味を解明するような感じ
おもろい説明する方やね。
まぁ、このスレに来るんだから基本知的好奇心が高い人が多そうだけど。
>>69
論理自体が異なる宇宙の差の検証すること自体の意味や、それによって得た情報で、ある宇宙で正としたものが別の宇宙でも正と言え得るのか、など、使用している論理そのものに矛盾がないのか、そこから導き出されることが無矛盾なのかの検証が終っていないので、IUTに意味があるのか疑われていると思う。
現状では、IUTに意味があるようには思えないし、それが大多数の意見だろう。
論理検証が終っていないと、奇妙な現象に悩まされる。
例えば、集合=物の集まり、としてしまうと、集合に集合そのものが含まれてしまい、矛盾を来す。
望月氏が間違っているとは言わないが、使用している論理をしっかり整理して無矛盾を示して貰えないと、単純に正しいとは言いづらいところは理解して頂きたい。
こういう問題の構造をわかりやすくさっと説明できる誰かが同じ言葉を話している人の中にいるのが日本人の価値ですな。
まぁ、自国語で高等教育を貫徹できない連中は英語に全振りするご時世だからガラパゴスとなるというリスクにも晒されるけど。
ですね
これも国力
集合に集合を含むかってのは、もう答えが出てなかったっけ?
なんか物凄くめんどくさそうな理論だな
仮に正しかったとしてこの理論は本当に役に立つのだろうか?
にゃるほどわからない
藤子不二雄はすごい
フェルマー予想をページの余白で証明できる
ワイルズ「がっぺむかつく」
16さん、19さん、ありがとうございます
予想どうり理解できません。
必要条件、十分条件の授業で 国語のようだと言って
教師に笑われた事を思い出しました。
でも、すぐにこうして説明してくれる人がいて
その説明のための膨大な知識を持つ人がいるんだなぁ と
ありがとうございました
世界を分解してABC予想を証明できる宇宙を構築して、そこで証明をしました。
元はと言えばこの世界の数学から派生した宇宙なのであちらの宇宙とこちらの宇宙はつながってます。
つまりABC予想は証明されたということです。
―完―
望月先生の次回作にご期待ください
自戒作にめっちゃ期待している
なんかペレルマンのポワンカレ予想と違うね
矛盾からはなんでも証明できるからABC理論も証明できた…つもりになってる
eig35153が考える、超高速運動体験後の双子のパラドックス
これはかなり以前に投稿者eig35153が着想した、双子のパラドックスに係る疑問だ。 今から超高速運動をする
体験者に課題が出された。 それはその体験者が未だ知らない歌謡曲を、超高速運動中に覚えろというものだ。
体験者は超高速運動中に、録音された歌謡曲を何回か再生して、地球に帰還するまでに曲を覚えた。 疑問とは、
体験者が地球基準系で “ その歌謡曲をまともに歌えるか “、ということだ。
超高速運動で生じる時間遅延は、例えばそれが10年の時間差が生じるなら、地球基準系に住む人間は、それに
応じた容姿になるだろうし、ゼンマイ時計も原子時計もその時間差異を残すだろう。 超高速運動体内部では
地球基準系に対して時間はスローテンポで過ぎる。 さらには、体験者が歌謡曲を記憶に定着させるなどの
脳思考活動も、地球基準系に対してスローテンポで行われる。
その記憶を地球基準系で想起する時に、地球基準系に合ったリズムテンポでそれは歌われるだろうか。 もしそれが
地球基準系のリズムだとすると、体験者の容姿は時間遅延の影響が残っており、時計も明らかに時間遅延の痕跡を
残すのに、体験者の意識や記憶には何の影響も残らないのは矛盾にならないのか。
もしこの指摘が正しいのなら、それは歌謡曲の記憶だけに限ったことでは無い。 高速運動中の、体験者の脳思考
活動全般でそれは起きることになる。 → https://www.youtube.com/watch?v=PgTFATUZXEA
50年経って理学で使われ、100年経って工学で使われる。
普通の人が理解できるものなど先端分野じゃあ無いよ。
よくわからんけどすげえこと言ってて一応辻褄あっとるから
あってるかどうかは後世に委ねようって動きになるわ
飛躍があるとかそればっか。
どういう魂胆なのかと思う。
いや、いま球はショルツ側だろ
>>76
お互いにボールはそっちにあると言い張ってたような。
理論が正しいのか門外漢は理解できないし、理解するだけの能力のある人間が今のところやる気無いので真相は闇の中。
事実としては望月側が反論したのを最後に返答がない
返答する義務があるのはショルツ側
他人の論文にケチを付けるという決定的な事をやったからには
最後まで付き合う義務があるはず
>>177
>事実としては望月側が反論したのを最後に返答がない
反論になってなかったろ
>>177
ショルツは回答になってないと望月にちゃんとした回答を出せとボールは望月にあると思ってる。
望月は回答したんだからちゃんと読めとボールはショルツにあると思ってる。
まあ何百年後かにABC予想の別証明や宇宙際タイヒミュラー理論内の矛盾の有無を誰かがやってくれるだろう
それまではお預け
証明にギャップがあると言われているのだから、
望月はギャップのない証明を出さなければならない。
それ以外の「反論」など意味がない。
望月の罵倒交じりの「反論」(数学の論文なのに数式すら少ししかない)をみて、
世界中の数学者が「望月は証明できていない」と理解した。
難しい問題だよ
この件に関して数学者の寄稿した文章に、数学の正しさは(少なくとも一時的には)誰が正しいと認めるかで決まるという趣旨の表現があった 重要なのは本質的に正しいかどうかとはあまり関係がないということ
なぜならば「証明が正しいことの証明」は決定不可能問題であることが分かっているから つまり機械的には証明の正しさが証明できず「誰かが」正しいと認めることが、証明の正しさに太鼓判を押す唯一の方法ってことになる
>>202
>「証明が正しいことの証明」は決定不可能問題
ねーよ
>>36
>ショルツが間違ってること証明すりゃいいんだよ。
>飛躍があるとかそればっか。
>どういう魂胆なのかと思う。
「ABC予想は正しい」という主張の一文は
間違ってはいないがなぜ正しいかの理由が書いてない(飛躍)、という話。
もし飛躍してもいいなら「正しい」の一文で証明は完了する(反例が存在しない限り)。
だから「飛躍がある」という批判はちゃんと批判になってる。
仮に、2つの宇宙の論理が同じであるとするならば、その2つの宇宙は同一であると言っても言い訳で、では今の宇宙で証明できないならば、その同一と見なせる宇宙でも証明できないだろう。
要は、論理が違う宇宙で証明しても、それがそのままこの宇宙での証明とならないということで、望月氏の証明は不完全と言わざるを得ない。
ABC予想「証明に疑問点」指摘も 出版後も割れる評価
2021年7月27日 8時00分
仏紙は3月、論文への批判や審査の不備への指摘など紆余(うよ)曲折を経て出版された経緯をこう表現した。
英BBCも「不可解な証明を巡る論争」と題した記事で、「ほとんどの数学者は証明が失敗したと考え、理解することをあきらめた」とする学界の声を伝えた。
望月氏は、約20年かけて1人で作り上げた「宇宙際(うちゅうさい)タイヒミュラー理論」という独創的な理論で挑んだ。
ところが、論文は「足し算やかけ算をする世界(=宇宙)を縦横無尽につなげて(=際)、数を操る」という奇抜さと難解さで、多くの数学者を困惑させた。
「どこが分からないのかさえ分からない」「未来から来た論文」と恐れられた。
著名な数学者から「証明の進め方に修正不能なギャップがある」といった疑問の声も上がった。
英科学誌ネイチャーは「不可解な論文が公式に出版されることに衝撃を受けた。ABC予想の『証明』は物議を醸したままだ」と論評した。
望月氏がPRIMSの編集委員長だったことから、審査方法への疑問もくすぶり続けている。
編集委員会は特集号の冒頭で、「利益相反を避けるため、望月氏を委員会から完全に排除していた」と異例の説明を加えた。
これに対し、ABC予想を提唱したジョゼフ・オステルレ仏ソルボンヌ大名誉教授は「重要な論文が望月氏に近い雑誌で審査されたのは驚きだ」。
フィールズ賞受賞者のピーター・ショルツ独ボン大教授も「証明の疑問点は明らかなのに出版された論文でも解消できていない。納得できる説明をしてほしい」などと述べた。
https://www.asahi.com/articles/ASP7V4TC2P7RULBJ008.html
こういった新理論、未解決問題の論文はほとんど駄目だという前提でいうが
せめて、全然、関わりなかった数学者に合ってると認めさせろ(具体的には懐疑的な外人数学者)
それでも駄目な場合はあるが、それからだ
レス番40を読むんだ
40は本人か?
ブラックボックスとか言ってる原因はどうせ身内にしか理解できないという本人のせいかと
部外者に理解させる気、努力する気はないのだろう
理解できる人を鍛えるなら外人からにすればよかったのに
いまからでも外人に理解させる、鍛えさせるべき
読んだけど単なる陰謀論かなと
長々と中身の無い内容を書き連ねてる
よくわかんないけどショルツに対して言ってるんじゃ?
彼はITUに論理的飛躍があるって言ってるから。
読んでなんとなくそう思った。
「宇宙際(うちゅうさい)タイヒミュラー理論」
て、ネーミングが・・・
英語にしろ。
interuniversal
そもそも数学のことなんて知ってても学生レベルでしか知らない奴しかいない匿名掲示板で
この件について議論をする意味が果たしてあるのだろうか
つまり我々にできるのは、ただひたすら感想を書きつらねることだけです
本当に面白い。
ABC予想なんて一部。これ使ったらいろいろできそう。
門外漢の想像だけど
この先生はアイドルチームの振り付けに数学との共通性を語ってたりするので
言語や数という限られた表現以外の方法でも伝わればいいんじゃないのかなあ
言葉は文脈を含めて伝えて「まずまずよし」であればいいものだし
女子学生の編み物で発見した先生もいるわけだし
朝日新聞みたいに
自分は何もしないで
文句だけつける奴が
いるんだな
どころか足引っ張られてるよ。
さっさと次の段階行ったほうがいい。
とりあえず望月教授にはITUの応用を示して、より現実的な部分に成果をおろして欲しいところだけど・・・
>>59
論理に謝りが1つでもあれば、どんなことも証明できてしまうので、ITU自体が論理に矛盾が発生していないか、無矛盾なのかの検証が終えていないと、ITUで何を証明しても無視されるだけに終わる。
節子、IUTや。
ITUは電話屋の国連や。
てか査読通してる人たちはショルツノートちゃんと反駁せーよ
論文精読して論理のギャップのある所をまとめたのに
ろくな回答が無いもんだからもう関わりたくない雰囲気
へえー
宇宙際タイヒミュラー理論(うちゅうさいタイヒミュラーりろん、Inter-Universal Teichmüller Theory, IUT)
>>63
主体が分かりにくいけど
wikipedia読むと
(シュルツェ教授からの)回答が無い、ということですか
いろいろ問答するはずが
コロナ禍でグダグダになってる
意見が全く一致しない異常事態。数学の「真理」は一つじゃないのかもしれん
数学の真理はよって立つところによって変わるので
それでも間違ってることの証明にはならんな
オスヴァルト・タイヒミュラー(1913年- 1943年)は、ドイツの数学者
だし、望月先生は、日米混血でアメリカで高等教育を受けた経歴からして
東洋のという形容で括るのは不適切。
ソーカル事件というのがあったね
ソーカルの場合、基本理論が存在しない社会科学界の番外地球団社会学が、数学コンプ全開で、物理学のおじさんが書いたイケズインチキ論文をリジェクトできなかった問題で、この問題とは雲と泥くらいの違いがある。
・しったかのアホが晒し上げられた→ソーカル
・新たな学問上の難問を解決するために新しい学問そのものを作ったけど、大多数の人にはその議論が理解不能で、分かった・分かりうると思われる人の議論の白黒も凡人にはよくわからない。
どうやら旗色悪そうだが、そんな感じで多数派に理解されないブレークスルーは山ほどあるから、その意味でもわからん奴は(私を含めて)ワーワー騒いだりくだらん掛け言葉をするしかない。
なんか見たことない記号がチラホラあった
宇宙っぽかった
・たった一人の偽論文がそれを見抜けなかったことによりほとんど致命的なまでに学会全体を破壊した。
IUTは
・たった一人の論文だが、なんか既存のだが複数のややこしい理論をもとに新たな理論を開発してその上に理論を乗っけもりしてるため、議論が成立する人間がほとんどおらず、その議論の成立性や本当のところどうなのかが現時点では断定的に言える何かがない。
引かれる原因
・宇宙際タイヒミュラー理論
用語がw
中坊かよ
痛いわ
汎用性あるのかこの理論
他の難問にも使えるという実益を示せ
・論文が長い
長くても構わんが、読みやすく書けと
貴重な時間使って、査読等して、結局、間違ってたとかすると、無駄な時間を使わされたことになる
タイヒミューラーが人名なのだから、日本語には訳しようが無い。
だからそこはやむを得ないでしょう。
もう数学界のある意味限界だろ
IUTの応用でゼータ関数絡みも出てきたとか
弟子筋の書いてるもので見た記憶
最後まで読み通せる人はその分野の本物の職業プロだけ。
内容を理解できる人は今の時点では多分世界に百人といないきがする。
白人のレイシズム的嫉妬心とかが遠因じゃないよね?
↑60年代の人並みにコンピュータを万能と思ってる人
人たちでは?
本当に実装できるのか? 本当に実現するのか? が怪しいものが多いと思う。
いろいろな暗黙の仮定が入っていたり、都合の良い理想的な状況を想定してたり、
しているから、実際に動かせるのかどうかが怪しい論文ばかりだと思う。
他の論文を引用して、これこれができるという具合に他の論文を参照をしているから、
どこかに結果的に無理でしたというのがあると、多くの論文が前提が崩れてしまい
かねない。学者は論文がパブリッシュされさえすればそれでいいから、
実際のシステムで動作の検証がされないのにも関わらず論文を書いて受理される
いまのうちであれば頑張って書いて稼ぎたがるだろうし。
査読が通らなかったのと全く同じこと
望月は言い逃れを止めろ恥晒しが
いや前提の知識不足なのに
従来の数学観で間違った突っ込み入れてるだけだから
それはお前だろが
自己紹介すんなキチガイ
前提の知識不足なのに従来の数学観で間違った突っ込み入れてるだけだとしたら、
その知識不足部分を査読者に指摘してやれば済むことでは?
こんなわけのわからない論争があるかと思えば、
13歳のガキが金メダルをとり、その際には、
ラスカルの肉うまそー、くいてーっ
て話で盛り上がっていたという別次元の奇妙さ
世の中いろいろだな
否定派のギスギス感は異常
なんかオリンピックも反対してそう
伝える最適解が一枚の絵である場合もあると思う
望月さんの直近の論文でIUTからフェルマー予想(ワイルズの定理)が出てくると主張してる
IUTのシンパも少しずつ増えてきてるみたいだし、温かく見守ればいいんじゃない
少なくとも俺は応援してる
ん?
異世界で魔法使えるなら、こっちの世界でも使えると証明されたんだが?
はい論破
ええんかこれ?
異世界と接続したら
向こうの魔法は
こっちの機械の動きに変換される仕組み
じゃなかったっけか?
で、意味不明な通信が行われていることを発見したとする。コンピュータを
使って解析を試みたところ、どうやら地球外の文明のオンライン講義らしい。
その内容を書きとめてみると、これまでまるで知られていなかった定理とか
地球上ではまだ誰も成功していない定理の証明が講義で解説されていることが
わかったとする。するとこれが宇宙際数学理論か。それらの結果をまとめて
地球の論文誌に投稿すれば、あなたは一躍超有名な学者になれて。。。
でも入手のソースは明らかにしない方が良さそうだね。
星間著作権法違反で何か飛んでくるです
もっとすっきりしたエクスプリシットな証明を今後輩出する天才に期待したい
>>184
ポアンカレ予想を見るに数学に合わせて物理学やら熱力学を入れてるので
まず数学者じゃ分からない数式がでてやっと定理が成り立つ世界だから
簡素化は無理だろう
1+1=2をもっと簡素にってくらい意味がない
ときに、彼らの文化の知識を宇宙に潜在的に存在する他の星の文明に伝えようとして
僅かな望みを託して、なんらかの手段により持てるその知識を送信しようとするかも
しれない。それをたまたま傍受できた者は、何万年何百万年分も先行する高度な
学問の内容などを一度に手中に収めることができて、まるで神のような知識の持ち主
になれるかもしれない。解読して得られた知識の宝庫とは、宇宙際Wikipedia。
最終的に望月の証明は間違ってたという評価に落ち着くんじゃないかな。
それを避けたいなら理論を分かりやすく簡潔にしないといけない。
本スレ
Inter-universal geometry と ABC予想 (応援スレ) 57
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1626002195/
殴り合いになってるスレ特有のわかりにくさはあるので専ブラでNG使いながらどうぞ
その応用も含めて正しければすごいことだし、正しくなければ忘れられてしまうだけだろうけど、
いったいどういう流れで「正しい」ということが理解を一度は断念した数学者たちに受け入れられるのかが
いまいち素人にはわからない。。
若い世代がこぞってIUTを学んで広めてくれるとかあるならわかるけど。
>>201
正しくてもそれが正しいと思われなければ正しいと認められないし、誰かが使えると思って使われないと忘れ去られる。
何百年も前に出来たものが発掘されて使われるなんてこともあるし。
今の若い世代が学ぶとしたら、今ブームになってるか、これからブームになると言われてて、こう言うことに使える!て言われた場合だろうね。
ものになるかわからんものに突撃するチャレンジャーは一握りだろう。
>>201
>その応用も含めて正しければすごいことだし
正しいかどうかは重要じゃない
たとえば初等幾何の新しい定理なんて毎日世界のどこかで生まれてるし
それらは勿論「正しい」。でも数学的に無価値
昔、カントールの無限集合の理論は、重鎮クロネッカーによって、
頭がおかしい理論だと批判されて、カントールは精神がいかれてしまったという。
今からみれば、カントールの方が正しかったのである。
マジ?
クロネッカーも有名なくせに大したことないな
いやーさすがクロネッカーさんでいいところ突いてたんだな
直観主義や構成主義につながる考え方を最初期に主張してたんだから
論理学に興味なかったから深化させなかったけど
しかもそれは自分の得意とする研究に基づいた彼なりの数学的直感によるものだった
詳しくは足立恒雄の「数とは何か、そしてまた何であったか」を読んでね
楽しみなんだよね
>>1
>出版後も割れる評価
割れてない。取り巻きの一握りの人たち以外からは関心を持たれてない。
①IUT理論は今の所「数学そのもの」に新しい知見を何ももたらしてない。
要するに新しい仕事を他の数学者に与えてない。
例えばフェルマー予想の証明は非可換類体論という現代数学の王道に
突破口を開いたがIUT理論にはそれに相当するものがまだ何もない。
②ABCの証明自体についても自明なことばかり延々やってて肝心なところは
全然何も書いてないと多くの人に指摘されてる
例えばポアンカレ予想の証明は、検証者がその省略されているステップを埋めていく際
「確かに一度はペレルマンはここを通っている」と納得をし、かつ最終的に
検証者が「一般的な専門家になら誰でも読めるレベルの論文」を完成させたが、
しかしABCの証明は、「内容を理解している」と自負する取り巻き数学者が説明会を
開くたびに、セミナーが不明瞭極まりない濃霧に包まれる
ショルツ以外だと誰が指摘してるん?
まず大事なのは「誰が彼が(批判的な事を)指摘してるか否か」ではなく
>>215さん? 別の人?
単に「多くの人に指摘されてる」って言ってたから聞いてみたかっただけなんだが…
「自明なことばかり延々やってて肝心なところは全然何も書いてない」は
単に理解できないよりよほど強い主張でしょ
コンラッドさんね、ありがと
調べてみる
>>226
>単に「多くの人に指摘されてる」って言ってたから聞いてみたかっただけなんだが…
①何を持ってどの程度を「多く」かはまちまちなので何なら「多く」は削除してもいいよ。
②一応「多く」の実例も念の為具体的に挙げたはずだけど何かまだ不足?
もう一度説明すればコンラッドがその実例の一人だ、という以上に
コンラッド自身が「多く」と言っていたよ、と私は言ってる。
つまり、コンラッドによれば、セミナーに参加した人(コンラッド自身も含む)
がほぼそういう同様の不満を漏らしていた、と報告している
そのコンラッドのコメントってどこで読める?
㌧クス
専門家の半数くらいが理解して納得しない限りは
「証明」とは呼べないような気がする。
キッズ達は「周りが理解できない」=「超難しい事をやってる」=「かっこいい」
というイメージなんだろうが、
「周りが理解できない」=「不明瞭」=「肝心な説明が省略されている」
が実際の話
まさに>>219の人が言ってるように「大半の人が肯定的でない」という現状
あなたの質問自体についてまともに「誰が?」に答えるなら
①については数学会のほぼ全員。だって「ナイ」から。
②についてはセミナーに参加した人ほぼ全員。特にコンラッドがそう伝えている
自分が理解できないもの否定は問題外
相対性理論も初め理解できるのは世界でも10人ぐらいしか居ない
と言われていた。量子力学も本当に理解している人が居るのか疑問
なぜならば違う次元を含んだ世界だから。数学的に取り扱いができる
ことと物理的に理解できることとは別なことだ。
>>221
>疑問に思うなら数学的に反論すればいい
×疑問に思うなら
○説明が省略されていると思うなら
価値がないと思うなら
相手の主張をあなたは微妙に歪めてる
>>221
相対性理論は証明じゃないから。
相対性理論は仮説なんだから、理解してもらう必要はない。
証明は理解されないと意味がないんだよ。
証明というのは、ある理論の正しさを論理的に納得させることなんだから。
再生核研究所声明 608(2021.3.10) : ABC 予想問題から、 変な数学界、万物流転、おかしな人類
証明者のコミュニケーション能力の高さが問われる問題でもある
理解できないならしゃーない
>>234
それは物理的な考え。
数学の場合は、式自体の意味を問う。式自体に使われている論理が正しいか、どうか。
特に矛盾がないか、無矛盾なのか。それがはっきりしない論理であれば、無視されて当然。
今数学の証明で使われている論理は、無矛盾であることか、矛盾がないことが証明されているもの。
新論理を展開するのであれば、無矛盾性、矛盾がないことははっきりさせないといけない。
>>236
>今数学の証明で使われている論理は、無矛盾であることか、矛盾がないことが証明されているもの。
マジかよ自然数論使えないじゃん
>>240
数学そのものは、論理の無矛盾を追及する学問であるとも言える。それはヒルベルト等、誰しもが意識していたと思う。
自然数論も当然、その無矛盾を証明しようとしている。例えば、数学 的帰納法を含む 自然数の理論が矛盾を含 まない と
い うことの証 明は,ゲ ンツェンによる次の論文においてはじめて与 えられている。
G. Gentzen, Die Widerspruchsfreiheit der reinen Zahlentheorie. Math. Ann. 112 (1936).
>>240が言う無矛盾性は、ゲ ンツェンの言うところのものではない、ということかも知れないが。
これの集合論版はあるん?
>>244
良くは知らないが、多分ないと思う。でも、探してみる価値はあるのでは。
じゃあ「今数学の証明で使われている論理は、無矛盾であることか、矛盾がないことが証明されているもの」は間違いだね
>>246
言っている意味が分からないが、一般に自然数を定義する時に使われるペアノの公理では、数学的帰納法を使用しているので、(間違っているかも知れないが)ペアノの公理で作られる自然数には矛盾がないことがゲ ンツェンによって示されていると思うのだが。
当然、集合論の標準的な構成から、ペアノの公理を満たす自然数が存在することが分かる。
集合論自身も、素朴的な集合論では矛盾を抱えているので、公理的な集合論で矛盾を回避しなくてはいけない。
ただ、>>246が何が言いたいのか、良く分からん。
確かに公理的集合論は矛盾を回避しなくてはいけないから今数学の証明には使われてないしね
>>251
そうではなくて、カントールの言う素朴的な集合論には矛盾が存在するので(だから、クロネッカーたちが反対した)、公理的な集合論から構築しないといけない。
自然数が無矛盾ではないと、例えば無理数が有理数ではないことに背理法を用いているが、この背理法自体の意味を問われることになり、無理数の存在が疑われる。
自然数が無矛盾であれば、今の数(複素数までと、それを基にする関数や演算)に矛盾がないことになる。
従って、工学や物理、化学などで安心して数学(あるいは数式、関数方程式)が使えることになる。
>>243
>自然数論も当然、その無矛盾を証明しようとしている。例えば、数学 的帰納法を含む 自然数の理論が矛盾を含 まない と
>い うことの証 明は,ゲ ンツェンによる次の論文においてはじめて与 えられている。
wikiより
自然数論の無矛盾性については、1934年にゲルハルト・ゲンツェンによって、証明の正規化(カット除去定理)を
用いることによって示されたとされた。しかしこの方法では、証明の正規化手続きの終了性がε0までの超限帰
納法によってなされている。
超限数出てくるんじゃあ、循環論法にすらなってねーwww
>>258
超限帰納法については、任意濃度の集合は選択公理と同値な整列可能定理により整列順序を持つとすることができるので、選択公理を含む公理系であれば、超限帰納法は任意濃度の集合に対して成立すると主張できる、とある。
> 超限数出てくるんじゃあ、循環論法にすらなってねーwww
何を言っているのか分からん。どういう意味だろうか?
>>260
>超限帰納法については、任意濃度の集合は選択公理と同値な整列可能定理により整列順序を持つとすることができるので、選択公理を含む公理系であれば、超限帰納法は任意濃度の集合に対して成立すると主張できる、とある。
お前そこの意味わかってないだろ、主張できるわけないじゃん
>>288
選択公理を認めているからだろ。
選択公理を認めるので、任意の密度を持つ集合で、整列可能定理により整列順序が定められる。
整列順序より超限帰納法を行える。
何が問題なんだ。いちいち、いちゃもん付けないで説明しろよ。
お前は、ゲ ンツェンの証明は間違っていると言っているんだぞ。証明のどこに間違いがあるか、説明しろよ。
>>292
超限数が出てる時点で有限の立場でもなんでもねーよ
ついでに、自然数論の無矛盾性の証明をメタ公理系の無矛盾性に頼ってるから、循環論法だっての
>>294
別にゲ ンツェンは、ヒルベルトの有限の立場にこだわっていないだろ。
大体、ゲンツェンは、ゲーデルの不完全性定理の後に、自然数論の無矛盾性を証明している。
>「メタ公理系の無矛盾性に頼ってる」
ちゃんと説明しろよ。
有限の立場を勘違いしてる
>>294
1931年ゲーデルは不完全性定理を証明し,ヒルベルトが当初考えていた `有限の立場' の範囲内で無矛盾性の証明をおこなうことはできないことを明らかにした.他方,ゲンツェンは1936年にヒルベルトの `有限の立場' を少し緩め,ある順序数までの超限帰納法を認めることにより,自然数論の無矛盾性の証明に成功した.さらに竹内外史はより大きな順序数を記述する方法を開発し,ゲンツェンの方法を拡張することによって実数論の部分体系の無矛盾性の証明を与え,ヒルベルトの第2問題に対する証明論をつぎの段階に進めることに成功した.
>>300
>他方,ゲンツェンは1936年にヒルベルトの `有限の立場' を少し緩め,
自爆、乙
ってか、結局選択公理まで持ち出さないといけない羽目に陥ってるのに「少し緩め」どころじゃねーwwwww
>>320
自爆も何も、これが正当な数学史。
数学を知らない奴だな。
>>323
>自爆も何も、これが正当な数学史。
それ、ゲンツェンの勘違いを信じて人生を無駄にしちゃった連中がそう主張してるだけの数学史、ってか数学黒歴史
なんだけど、素人が適当にググっただけじゃあそこまでわからんわな
>数学を知らない奴だな。
うんうん、選択公理を使っても有限の立場だよな、お前の中ではなー
>>334
お前馬鹿だろう。誰も有限の立場なんてこだわって居ない。
不完全性定理を忘れたわけではあるまいし。
>お前馬鹿だろう。誰も有限の立場なんてこだわって居ない。
>>343
自然数の数列で正の向きとして向き付けを考えると向きつけ可能となる。
宇宙の有限性の話も同様のものでできるね。ヒルベルトの我々は知らねばならない、我々は知るだろう、これは時間的正の時間ということになるけども。
つまり、ゲーテルの不完全性定理の2のタルスキの定理の部分、リシャールのパラドックスの回避として概念を論理式によって表現できかつ、循環論法に陥らない(つまり向き付け可能となる)のなら
ミュンヒハウゼンのトリレンマの根拠の根拠の根拠のとなるとき回避法としての数学的立場の公理の採用、ここの受容になるのだろうか。
でも、それは従来公理を排するものでなく両立し説明しえ、かつ、解決困難な課題に解答を与えるものであるのならばそれは有用であり採用すべきものである、と。
と、Wikipediaで読んだわ。
>>343
お前、本当に数学を知らないで言っているのな。
何の知らないで、知った顔するなよ、馬鹿。
ヒルベルトの第2問題 - 有限の立場 → 不完全性定理 → 自然数論の無矛盾性
こういう流れだ。有限の立場では、自然数論の無矛盾性を不完全性定理により証明できないことがはっきりしているので、ゲンツェンは有限の立場ではなく、有限の立場を”少し緩める形で”自然数論の無矛盾性を証明した、そういうことだ、アホ。
日本語も分からないのか、キチガイが。
>ゲンツェンは有限の立場ではなく、
>>349
だからさ、当初のヒルベルトの言う有限の立場で自然数論の無矛盾性をどう証明するんだ?
不完全性定理があるんだぜ。
お前、全然数学のことを知らないで、何知ったかしているんだ?ど素人だろ。
>>334
リーマン球体とかの可換環論かな。5ちゃんねるとWikipediaで見たわ。
2次元の原点と無原点を3次元球体として表現すると1直線上の軸に並ぶ。
射影幾何はその軸を2次元射影として捉えなおすという、つまり、2次元宇宙から3次元宇宙に飛ばし、また2次元宇宙に戻し表現することで、
単純なXY軸の原点と無限値が1点として表現しなおすことができると。
似たような話がどこかにあったかな?>同一視のせいで向き付け不可能になんだわ
有限and無限で無矛盾の話だろうか?
>>>300
>>他方,ゲンツェンは1936年にヒルベルトの `有限の立場' を少し緩め,
>自爆、乙
と、お前がこだわってるのに、何度自爆したら気が済むんだ?
>>258
>wikiより
>自然数論の無矛盾性については、1934年にゲルハルト・ゲンツェンによって、証明の正規化(カット除去定理)を
>用いることによって示されたとされた。しかしこの方法では、証明の正規化手続きの終了性がε0までの超限帰
>納法によってなされている。
で、wikiの続きが、
この証明方法の正しさは、ヒルベルトのような「有限の立場」に立っていると主張する研究者が、手続きが実行可
能である点をその根拠としている
なわけで、ゲンツェンが「有限の立場」を放棄してるなんて言ってるのは、数学を知らないお前だけ
>>234
物理の場合は、無矛盾が保証されている数学で現象を記述できれば、後はその数式を解き、その解の物理的な解釈を行うが、これは現象を記述する数学が正しいという前提での話。
既に正しいことが証明されている数学を使っているので、物理は物理現象を数学で記述し、また逆に数学で記述したものを物理現象に翻訳できれば、後は実際の観察との一致だけだが、数学は数学そのものを研究対象にしているので、数学で記述する論理が正しいのか=無矛盾なのか、をまず検証しなくてはいけない。既存の数学は、無矛盾である論理から理論が組み立てられているので問題ないが、望月氏のIUTは、使用されている論理そのものに疑問があるので、ここから検証しないといけない。
ABC予想を証明するだけのための物でもないだろう
なぜIUTを導入するのか そこからどういう新知見が得られるのか
そこらへんからして否定的に受け取られているのでは
ABC予想の証明もへったくれもない
>>235
別の宇宙の法則だと簡単に解ける問題があって、我々の宇宙と別の宇宙の橋渡しが出来れば我々の宇宙でも使えるってのがIUTの肝なんでは?
何に使えるかなんて実用性第一で数学が発展した訳でも無し、それをどう使うかは後世の人間の仕事。
インターステラーっぽい
>>248
ライラの冒険っぽい
並行世界あるある
「この命題に反例は存在する。しかしその反例は構成不可能である。」
が示されたとしたならば、その命題は構成的な使い方をする場合には、
正しいものとしても使えることになるのだろうか? そういう思いが抜けない。
結局証明に飛躍があるとして反対してるからヤバい
それ査読通ってないのと同じことなんだよねw
権威ある論文って結局そう言う人たちが査読するわけなんだからw
似て非なる話だ
多分あなた達は「無矛盾」の話の意味を分かってない。
公理系をその都度適切に選べば数学が「無矛盾」になるのは当たり前。
なので要するに我々は特に「無矛盾」について気を配る必要はない。
(無矛盾に出来ないのはあくまで特定の公理系を固定した時だけ)
>>255 >>256
基礎論がしっかりできる前は、論理そのものに疑いが入って、今に至っている。
> 公理系をその都度適切に選べば数学が「無矛盾」になるのは当たり前
その「当たり前」は、公理系を作って証明しているから言えること。
望月氏のIUTは、その「当たり前」が適用できるのかすら疑問ということ。
その「当たり前」をせめて当たり前と思わせてくれるまで示してくれないと、素直に頷けるものではないということ。
>>257
>基礎論がしっかりできる前は、論理そのものに疑いが入って、今に至っている
全然疑いなんか入ってない。もう一度言うけどヒルベルト達がやろうとしたのがあくまで
或る固定された公理系の中から全てを形式的に導き出そうという計画。
しかしその都度適切な公理系を作るという「当たり前」の作業を受け入れれば
何も疑いの余地なんか発生しない。
無矛盾の話はいい加減スレチだから
>その「当たり前」は、公理系を作って証明しているから言えること。
その「言えること」と基礎論は全然関係ない
「言えること」とは即ち証明をする事に他ならないし
証明をする事と基礎論は関係ない
>>278
パラドックスを提起され、疑われた。結果としてカントールの言う集合論は訂正され、公理系から構築された。
簡単に公理系を当たり前のように言うが、そういう認識は違うのじゃないか?
>>278
お前、数学基礎論を知らないで言っているだろ?
いい加減なことをほざくなよ。
>>293
>お前、数学基礎論を知らないで言っているだろ?
お前がなー
自然数の体系についてのごく常識的で普通に要請するべき公理の組を
設定しただけでも、一般には証明不可能な(肯定も否定もできない)
命題が存在してしまう、ということをゲーデルが示しているぞ。
だから、その結果を見て、当時の数学者達は悩んでしまった。
その結果から、肯定も否定もできないとされた命題を、
新たに1つの公理として付け加えた数学体系もまた、
その中に肯定も否定も不可能な命題を含む。
ではそれもまた(否定あるいは肯定を)公理として
付け加えたとしても、やはり、、、、。
つまりいくら証明不能な命題を新たな公理として延々と
付け加え続けても、いつかこれでもう決定不能な命題は存在しなくなった万歳!
などということは起こらない。
そうして、無数の公理系の異なる数学体系が存在することもなる。
排中律(これも公理)により、
ある命題は真であるか偽であるかのどちらかである、
としたとしても、
ある体系の中で正しいとも正しくないとも証明のできない命題が存在すると、
ある命題Aは否定してみても矛盾は起こらず、肯定してみても矛盾は起こらない
などということが起こりうる。すると排中律はそのままでは受け入れ難い。
真であるか偽であるか決定不能であるかの三択にしないと。
前原昭二:「自然数論の無矛盾性証明の必要性」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kisoron1954/14/3/14_3_107/_pdf/-char/ja
他に
竹内外史: 「数学基礎論」、現代数学講座1、共立出版(1956)。
読むと良いらしいぞ。
その主観によってずいぶん不幸を見てきた
「自然数(整数だったかな?)は神が造りたもうた。
それ以外の数は人間が作ったものである。」
証明に百万ステップのギャップがある可能性
The catch is that this process might require, say, one million intermediate microsteps, so in practice, mathematicians don’t actually produce all the intermediate steps explicitly.
望月擁護派
「どこでもドアがあるとしよう」
↓
「メッサ都合いいやん」
↓
「どこでもドアがあることが遡及的に証明された!」
wwwww
将棋やってて詰んだら王さん口に咥えて「取られてないから詰んでないキリッ」
「オレが詰んだの認めてないから詰んでないキリッ」
言ってるのと同じなんだよ
ただ見っともないカスなだけな
本当正義マンには困ったもんだわ┐(´д`)┌ヤレヤレ」
「数学を研究する上で基礎論を気にする必要は一切ない」という安心を与えたこと
単純に一人が10人に教えるだけで理解者は100人になるが?
なんとなくそんな感じだよねーで世の中は回る
予想はもう止そう
パスすれば、論理に飛躍はないことが保証されるのかもしれないが、
膨大な証明をCoq向けに記述するのはたいへんだ。
ある種の証明が恐ろしく長くなる事とか
命題と証明の組を探すゲームに終わりがなさそうな事を示唆する
正しいか正しくないかをその体系の中では決定できない命題、公理系とは独立の
命題が存在することを意味する。
通常のユークリッドの平面幾何学の中から、たとえば平行線公理を除いた
体系を考えると、もとの平行線公理が述べている内容は命題になるが、
その命題は公理からは独立であって肯定も否定も(証明)できない命題になる。
肯定した命題を公理として付け加えればそれがユークリッドの幾何学であり、
否定した命題を公理として付け加えればそれは非ユークリッド幾何学になる。
3次元(以上)のユークリッド幾何学で成り立つデザルグの定理は、なんと2次元では
二次元ユークリッド幾何の公理系からでは証明をすることができない(公理系とは
独立な)命題であることが知られている。
そこで、平面幾何ではデザルグの定理の内容を公理として付け加えても良いし、
あるいは定理の内容の否定を公理として付け加えても良いことになる。
これはとても奇異な感じがするだろうが。
https://romanpub.com/dbzc.php
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12689051538.html
ある種のすなわち計算について言及できるような形式系は計算論的にも決定不能な事はすぐわかる
これは要するにこのパズルには簡単な命題と恐ろしく長くて難しい証明の組がたくさんあるって事を言ってる
無矛盾性とかいう終末思想にこだわるよりとりあえずパズル解いてた方が有意義じゃね
>>303
数学はそんなガキ臭いものではないよ。
パズルだって言ったのは俺じゃなくて基礎論数学者なのにひどくねw
>>305
そうか。ごめん。言い過ぎた。
ゲンツェンは、超(メタ)数学の側が無矛盾であると仮定すれば、
その中で記述される(通常の)数学が無矛盾になるといったわけだろう。
あることを前提(仮定)として結論が導かれるという場合には、
もしも前提が正しくなければ、結論は正誤どっちでもよくなる。
では、メタの数学の無矛盾性を示すのに、メタメタ数学が無矛盾であると仮定して
メタメタ数学の論理を使ってメタの数学の無矛盾性が示せたとする。
しかし、それはまたしても責任をメタメタ数学の無矛盾性に転嫁したのに過ぎない。
それでは、メタメタメタ数学の無矛盾性を仮定して、。。。。などいくらやっても
切りが無い。
例え話としてある数学者が思考をしていろいろな証明を生成していたとしても、
彼・彼女の頭が狂っていたら、そうして彼・彼女の中での論理体系なるものでは
正当とされている方法で厳格に導出をしたのだとしても、所詮それを実行した
頭脳や解釈系が狂っているのだから、出てくる結果が正常であることは保証され
ないだろう。
選択公理は有限集合の時に成り立つ性質を、形式的にそのまま無限集合まで延長
して使えるようにした「便利」な公理で、実際公理にできるのだから他の公理とは
独立しているので導入しても良いわけだけれども、構成的ではないから
具体的に実行したり、有限の手順で実行できるわけではない。たとえれば可算の
範囲を超えたステップ数が必要になる。現実性を考えたら選択公理のような
こうなっていればいいなというような形式美から無意識に、直感的に持ち込んで
しまうような手段の密輸を禁止し排除して、選択公理無しで数学を構成的に
構築する方が良い。その場合にも選択公理を入れた数学は、選択公理無しの数学
でなし得ることの限界の1つ、上界を示すものとしては意味があるだろう。
構成的と直観的ってどう違うの?
>>307
自然数論の無矛盾性の証明に選択公理を認めるのは、別に不自然ではないと思うが。
>ゲンツェンは、超(メタ)数学の側が無矛盾であると仮定すれば、その中で記述される(通常の)数学が無矛盾になるといった
そんなことは言っていないだろ? それとも選択公理が超(メタ)数学だとでも?
実際に数学で選択公理を認めずに何ができる?という素朴な質問に対してどう答える?
選択公理を使わずに数学が構築できるか、という問いに対しては、とてもできるとは思え得ないというのが僕の答えだ。
>>313
>そんなことは言っていないだろ? それとも選択公理が超(メタ)数学だとでも?
だめだ、こりゃ
>>307
もちろん、選択公理なしで構築した公理系での論理あるいは数学というのは意味がある。
背理法を否定して構築した論理あるいは数学があると同様に。
だが、実際に今工学、物理、化学など、ありとあらゆるところで使われている数学は、選択公理を認めている。
現実として使われている数学、というものも我々は認めなければならないし、その中での論理で証明することに現実の意味があると思う。
>>307
>ゲンツェンは、超(メタ)数学の側が無矛盾であると仮定すれば、
そのメタ数学は自然数論を含むので、自然数論が無矛盾と仮定してるってこったぞ
ただの黒歴史
>>321 >>322
お前、数学を知らないで、適当なことを喚いているだけだろ。
まともなことは発言していないものな。スルーだな。
虚数だってグラフ上に将棋の駒みたいに配置して
関数を調べて行ったら色々面白かった。
きっと、論理だってグラフ上に配置して、
全ての論理平面なるものを作れば、、、
スレタイの「出版後も割れる評価」に悪意とか無知を感じる
理論って言うのは発表したらそれで終わりじゃない、そこからが本番
選択公理だけ否定するのは不合理
それで計算論的な決定不能性は例えば証明に要するステップ数を容易に推測するような手段はないと主張していて
さもなければいつも推測されたステップ数で探索を打ち切る決定手続きが成立してしまうからな
だから上目線で数学はすでに難しい事を示したのはいいんだけど
でもその縛り方がざっくりすぎる気するからもうちょっと上目線を精緻化したり
実践的にはなるべく簡明な証明が手に入れたいのをもっと助けてくれ基礎論は
ものはかなり少ないとかいうきっちりしていない予想だが、本当にこんなので
役立つのか?
条件満たす数が有限か無限かってとこに意味があるのでは?
他人との心の壁が必要とかもう人格的にヤバい領域にきてるのではないか
94 名前:おさかなくわえた名無しさん@転載は禁止 Mail:sage 投稿日:2014/07/25(金) 17:39:57.24 ID:mqyxtShK
海外では、コンペに勝とうが、有名だろうが、絶対に邪魔をして覆そうとする敵が必ず現れます。
さまざまな文化、バックグラウンドを持つ人たちの価値観がぶつかり合うわけですから、
感性や主観的なものを乗り越えるロジックを持って戦わなければ通用しません。 @坂茂
しかし選択公理は無限集合(濃度は可算でも非可算でも)の中に
ある性質を満たす要素(集合の元)が存在するならば、
それを(方法や手段を示さなくても)取り出せる、
ということを無条件に保証してしまう。むちゃくちゃ強力な道具だ。
有限集合の場合であっても、集合の元の数がむちゃくちゃ多ければ
その中から具体的に探し出すのは一般には大変な作業なわけだが、
それは1つずつ調べて行けば有限集合だからいつかはすべての元に
ついての検査が終わるということでもって数学では(選択公理は
関係なく)探し出せるということを自明の理としている(現実には
なかなか厳しい。たとえば将棋の完全手などもこの理屈が許され
るのなら、示せる理屈だ。)有限集合ですら大変なのに、無限
集合だと、要素を一つずつ取り出して調べ尽くすということは
本来的にはできないのにも関わらず、選択公理はそれを
無限集合であっても性質を満たす元を取り出せるとお墨付きを
与えてしまう。すると形式的な議論がやりやすくなってどんどんと
先に進めるので便利だ。そのかわり、どうやってその元を具体的に
取り出すのかは不問に付される。選択公理に依りといってブラック
ボックス化される。
>>333
選択公理は美しいかどうかは分からんが、強い公理であることは認める。
で、実際選択公理なしで何ができる?
物理や工学の連中の言う「数学」は全滅だぞ。
そうなん?
決定性公理じゃ解析ってできないの?
けどツォルンの補題と同値なんだろ?
信じられないわ
選択公理や整列可能定理は何かよく分からない事を断定してる気はする
けどツォルンの補題とは自明としか思えん
>>342
選択公理を使う時は、ツォルンの補題の形で使うことが多いこともあるしね。
実際、実数のように可算濃度以外の集合を扱う時は、選択公理なしでは手も足もでない。
平面上の2直線は必ず交点を持つ、ただし平行二直線の場合は交点は無限遠点とする。
これにより、普通のユークリッド幾何の平行線公理を除いてしまったのが射影幾何。
「平面上の二直線は交点をただ一つ持つ」これが平面射影幾何の公理(証明はできない)。
ユークリッド原論の立場は、空間はあくまでの(いくらでも広いが)有限の範囲
だけを暗黙に想定している。だから交点があるというときにはそれは有限の範囲に
あるとしている。交点が有限のところにある場合と同じ規則にまとめるために
無限遠点を導入した。すると形式的に無限と有限の両方が同じ形に記述できる。
現実には(たとえば物理的には)無限遠にある交点を確認しに行こうとして
いくらどんどんと追いかけて行ってもいつまでも交点を有限の範囲では見つける
ことができない。しかしそのことを無限の位置に交点があるという。
形式的には有限と無限を区別しない論理の構成の方が美しい。
>>336
>平面上の2直線は必ず交点を持つ、ただし平行二直線の場合は交点は無限遠点とする。
無限遠点を認める場合は、交点は2点となるわけだよね。その交点と交点の範囲内において、線は無限の長さとならず無限遠点の範囲で有限な長さとなる。
ABC予想の整数を有限に限定する試みはそういうものだと考えるわけ?
>>337
>無限遠点を認める場合は、交点は2点となるわけだよね。
お前、見どころあるな
それが球面幾何、もちろん、無限とか持ち出すまでもなく球面でコンパクトに表現できる
球面の反対側の2点を同一視して1点としたのが射影幾何で、もちろん球面でそのまま表現できるんで無限とか
いらないが、同一視のせいで向き付け不可能になんだわ
>>336
>平面上の2直線は必ず交点を持つ、ただし平行二直線の場合は交点は無限遠点とする。
>これにより、普通のユークリッド幾何の平行線公理を除いてしまったのが射影幾何。
お、馬鹿だ
そうして、ある平行線の組と別の平行線の組は、それぞれの組の平行線の向きが
異なれば、それぞれは互いに異なる無限遠の1点で交わると考える。
排中律なんだよ問題は
いや直観主義論理でも不完全性定理が証明されたのは少し後
当たり前なんてことはない
次に投げるコインが表だと仮定すると対称性を使ってそれが裏である事も証明できる
つまり排中律から矛盾がいえると
背理法の証明自体がなされていないわけだが
バカだな
コインが表と言ったがそれは間違いだったという背理法は使っていいんだよ
でも排中律なければ矛盾にはならないんだよな
コインが表になるか裏になるかなんて証明できるわけねーだろというのが正しい答えなんだから
リーマン予想の解決に選択公理を使う例:
リーマンのゼータ関数は複素平面上でz=1に極を持つ以外には、1価で正則な
解析関数に解析延長される。その零点のうちで実数であるものは除いて集めた
集合Zを作ることが(選択公理を適用して)できる。Zの要素のうちで実部が
1/2ではないものをすべて集めて集合Xを(選択公理を適用して)作る。
後はこの集合Xが空集合であるかどうかを(選択公理を利用して)調べると、
その結果によりリーマン予想の真偽が判定できる。選択公理は協力だなあ。
どうようにして、選択公理を適切に適用すれば、双子素数の問題も、
ゴールドバッハの予想も、コラッツの予想も解決する。
こーんな、強力な処理のできる公理、使わない手はありませんぞ。
回路の遅延時間毎に真と偽の値が交互に入れ替わって振動するような
こともできる。普通の数学では、論理の伝搬に時間遅れのような要因を
一切考慮していないが、現実の世界では、情報は光速を越えては伝わらない
という原則を認めるならば、論理演算の結果は時間遅延を伴って伝搬するのが
当然なので、同時に真かつ偽はなくても、あるときは真、またあるときは偽
となって両方の状態の間をさまようことは極当たり前に起こることだ。
30講に書かれていた気がする もう覚えてない
このショルツのレビューって最近出たの?
redditでスレ立ってるけど
https://www.reddit.com/r/math/comments/ousg3s/scholzes_review_of_mochizukis_paper_for/
r/math 4 days ago
Posted by ninguem
Additional post actions
Scholze's review of Mochizuki's paper for Zentralblatt
スレは4日前に立ってる
そういう話聞かないからやっぱり駄目ってことなの?
zbMATH
@zbMATH
Replying to
@monsoon0
and
@Reddit
The final version is now online at https://zbmath.org/07317908. Technically, the main modification from the preliminary version erroneously available is that we suggested to have a stable version of “Why ABC is still a conjecture” linked at the homepage (to avoid the situation of ...
7:08 AM ・ Aug 4, 2021・Twitter Web App
zbMATH
@zbMATH
・
7h
Replying to
@zbMATH
@monsoon0
and
@Reddit
... the now broken link http://kurims.kyoto-u.ac.jp/~motizuki/SS2018-08.pdf…) - Peter Scholze kindly provided this, but needed of course also the agreement of Jakob Stix, hence the delay. (Somewhat ironically, our mistake lead to an temporarily unstable version of the review itself - once more, apologies!).
最終版は今日でたらしい
本当の天才しか理解できないのなら仕方ない
3年の反論のエッセンス取り出してこんな短くまとまってるから
誤解ポイントあるなら指摘しやすくなってるのか
The argument given by the author for taking not the obvious isomorphism between Π’s but the full poly-isomorphism is that this is necessary because the Θ-link does not respect the interpretation of the elements of these monoids as actual numbers.
Certainly the Θ-link does not respect this interpretation, but this cannot be rescued by taking any other isomorphism between Π’s, let alone an indetermined one!
同型のかわりに多相同型を使うのはΘリンクがモノイドからNへの解釈を反映しないためとあるが
単一の解釈を反映しないだけで複数の解釈を反映してるんじゃないの?
密かに選択公理が使われているはずですぞ。
宇宙の星の見えない(現代観測技術のいかなるものを用いても星の存在を観測できないとき)何もない宇宙空間としてるけど、果して光が届かない場所はどのように観測されるだろうか。
ブラックホールは電波望遠鏡を使って僅かの収集したデータからその全体像を導きだしてたけど。
果してその僅かのデータも収集できない場所に何があると見えるだろうか?宇宙に果てがあると(有限)みなしてるわけだから、その根拠は1点から始まりそれが拡張されてるのであれば、遠くであれば薄まるだろう、が根拠な気がする。
濃度が薄すぎて観測不可能な場所を果て(有限はどこかにあるはず)が根拠ではないだろうか。