子供はどうやって言葉の意味を理解しているのか? 非常に複雑な情報統合のモデル化に成功
子供は驚異的な速度で言語を学習していきます。
5歳児は何千もの単語を理解していると考えられていますが、私たちが今から新しい言語を学習し始めても5年でその領域へ至るのはかなり困難です。
これは長年にわたり多くの研究者たちを悩ませている難問です。
独マックス・プランク進化人類学研究所の研究チームは、子どもが言葉を覚える際に情報を統合する仕組みについて新しいコンピュータモデルによって説明しています。
子どもたちは、いったいどのように情報を組み合わせ初めて出逢う言葉の意味を理解していくのでしょうか?
この研究成果は、7月1日付で科学雑誌『Nature Human Behaviour』に掲載されています。
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
ナゾロジー 2021.07.06
https://nazology.net/archives/92248
引用元: ・【ナゾロジー】子供はどうやって言葉の意味を理解しているのか? 非常に複雑な情報統合のモデル化に成功 [すらいむ★]
私の頭はとてもたくさん詰まっているからなかなか入っていかない
場合によっては整理しながらどかしながらやっと入っていく
時々はこぼれ落ちるし フリーズもする
お父さんロボットが、一番早いはず。
鉄人28号見たら、もっと早いと思う。
犬猫と同じで
50歳の5年は人生の10%
単純に10倍の違い
50歳の50年
5歳越えたジジイ共にはわかるまい小学生もジジイじゃ
Talking Computer 'HAL-9000'
3歳までは母親と脳波が繋がっていて心象がダイレクトに脳に入ってくるからだろ
そんなの40年前からの定説をいまさらどうしたいんだよ
現時点ではまだ否定も肯定もされていない。
大人でも習得が早いと思う。
抽象語はやや難解かもしれないけど。
私はアメリカ育ちの人である。
そして私は日本語を勉強している人である。
意味が分からないがある。
それは次である。
① ○のような○をしている
② ○のような○である
この違いの意味を日本人は誰も説明できない。それゆえに、私は同じく理解できない。
ex1
① それは目をしている
→成り立たない
② それは目である
→成り立つ
ex2
① 腐った魚のような目をしている
→成り立つ
② 腐った魚のような目である
→成り立つ
この違いは何か分からない。
それゆえに、私は教えてくれるを願っている。
お願いします。
>>20
A「~をしている」 は動詞・形容詞にかかる
B「~である」 は名詞にかかる
「それは目」は名詞なので、Bに当てはめることはできるが、
「それは目」だけでは動詞になりえないのでAは当てはまらない
「腐ったような魚の目」は目をそのように変化させている形容詞でもあり、
実在する腐ったような魚の目を表す名詞でもあるので
AにもBにも当てはまる。
>>21
〇「それは目をしている」が成り立たないのは
×「これは目である」が成り立たないのは
>>20
〇〇をしている
は「する」という動詞を活用したものですが
これは名詞と合わせると
名詞の持つ側面的な意味を示す
副詞的意味を持つ用法に変化します
電話をしている
電話である
側面的な意味を持たない名詞に合わせると
側面的な意味を求めてしまうので
奇妙な日本語になります
>>20
A「~をしている」 は「継続動詞」。ある様態が続いていることを示している(being)
cf. ご飯を食べている
B「~である」 は「状態動詞」。固定的な状態であることを示している(be)
cf. これは食べ物である
「これは目である」が成り立たないのは、目は「ある様態で続く」ものではないから。
性格には、目は、目の様態で続いている
>>20
ex1
① それは目をしている
→成り立たない
文法が問題なのではなく、意味が通らないのだ。
「それは蛇のような形をしている」は意味が分かる、
「それは形をしている」は意味がわからない。
ex2
① 腐った魚のような目をしている
→成り立つ
② 腐った魚のような目である
→成り立つ
共に成り立つが、共に似たような語を使っているが、
文法は全く違うし、意味もそれなりに違うので、
比較する意味はあまりない。
①の主語はその目を持った「何か」だ。
その「何か」が「~のような目をする」という行為を行っている。
②の主語は「目そのもの」を指していて、
その「目そのもの」が「~のような目である」という構造。
>>30
ex2
① 君は腐った魚のような目をしている
→成り立つ
② 君は腐った魚のような目である
→成り立つ
共に主語は君(>>30)だ
>>20
日本語のネイティブスピーカーはおそらく次のように解釈していると思います。
① 腐った魚のような目をしている
一時的な状態。(目の表情を表しています)
② 腐った魚のような目である
恒常的な状態。(目の形態を表しています)
>>48
一時的な状態
① 今一時的に腐った魚のような目をしている
or
② 今一時的に腐った魚のような目である
恒常的な状態
① ずっと腐った魚のような目をしている
or
② ずっと腐った魚のような目である
>>20
腐った魚のような目をしている→その目を持つ誰かを表現
腐った魚のような目である→目だけを描写
主語を入れると違いがわかる
>>52
英文にしたほうが違いがわかりやすいね
(彼は)腐った魚のような目をしている
(彼の目は)腐った魚のような目である
おいらも9歳くらいに道行く車の車種を次々言い当てた
十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人 と言うが
正しくその通りだと思う
子供の頃は大人の話がちんぷんかんぷんだったよな
自分は高学年くらいまで自分がわかる言葉とわからない言葉という、別々のジャンルがあるという具合に大別していた
文法が逆さだからと思うよ
使う必要ないからだろ。
日本語だって使わなきゃ忘れる。
外国に支配された経験がほぼなく
日本語以外の言語を使う必要性がほぼなかった
てめぇなんちゃらかんちゃらだろうがゴルァとか言ってる5歳くらいのガキ見て吹いた
チョムスキー先生も草場のカゲでお喜びでしょう
リスニングとスピーキングに限って言えば努力も才能も教育も関係無い。単純に環境と物量。
教育前史や育児放棄やストリートチルドレンでも自動的に習得するのだから
幼児は起きてる間中言語学習しているのだから年間学習時間は3000時間以上にもなるわけで
大人も年3000時間以上も言語学習すれば同等の結果が得られる。
16カ国語話者のロンブ・カトーも、著書で物量論を展開しており
週に最低限10~12時間以上の学習時間が必要不可欠でそれ以下だと効果が無いとしている
他言語のリスニングとスピーキングの学校教育の成果が上手く出ないのであれば
それは環境と物量を整えない政治的教育的失策によるもの
本物の動物園のキリンを同じと捉えるのがほんとすごいと思ったよ
3匹のコブタの絵と本物のブタを真横に置くと似ても似つかないはずなのに
同じブタさんと言う
子供は小さな大人ではない
大人と子供は別の生物と考えたほうがいい
ママとかパパとかマンマとか。
3歳、4歳、5歳くらいの間に爆発的に言葉を上達させるよね?
その3年間で大人の日常会話を理解して真似られるようになる。
あっという間に丸暗記してしまうからな。
つまり、あれが子供の才能。
音に敏感で音のつながりをあっという間に記憶してしまう。
あとはその音に意味を当てはめるだけ。
だから、ときどきとんでもなく間違った意味で言葉を覚えてしまう
こともある。それも含めて才能だ。
日本語のネイティブスピーカーにはその違いが分からない。
「は」という助詞のせいか。
情報源を全て使ってベイズ推定したものと非常に近い一致度になった、か
となると、そういう人工知能のシステムを作るのももうすぐって事だな
私は、もう一つ質問である。
ら抜き言葉、間違いである。
しかし理解できない。
・ プリンが食べれた
↓ら抜きなので、らを足す
・プリンが食べられた
意味変わってしまう。これダメである。
>>58
助詞の使い方ももう一度勉強してみるといいかもしれない
プリンを食べる が基本形
絵本と児童書は日本語を学ぶのにとてもいい教材です
神経ネットワークの可塑性が相当に落ちてしまうのではないだろうか?
言語の学習などには臨界期というのがあって、その年齢を過ぎると新しい
言語の学習は極めて困難になるということがずっと前から知られている。